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「負ける演劇」をめざして

石川ひまわりキッズシアター公演「私たちの空」が終了しました。
このなかで演じられる3つの短編それぞれについてエッセイを書く、ってのをやろうと思ってたんですが、2つめまでしか書いてまてーん。。。

なもんで、もう1個をちゃんとアップしようと書いてたら、いつのまにか演劇論の話になっちゃったんで、そっちを載せます。
「私たちの空」第3部「私たちの命」についてのエッセイは、また後ほど書きます。ちゃんと書きます。べつに誰も望んでなかろうが、私自身が書かなくちゃならないと思っているのです。

ってわけで、演劇論の話です。


(琉球新報の「りゅうPON!」の1面にデカデカと掲載されました!)

演劇作品というのは、人工物である。まぎれもなく「作り物」である。自然の産物ではない。そこには製作者の意図や思想が意識的にしろ無意識的にしろ書き込まれている。

脚本を書く、という行為は、ある種の全能感を書き手にもたらしてしまう危険性がある。戯曲の中には、そこ(舞台上)がどんな場所で、どんな人物が登場して、どんな出来事が起こるのかが書き込まれる。
つまりそれらを決定する権利は脚本家に属している。脚本家が紙の上に書き付けた言葉によって、その作品世界は構成される。

脚本家が脚本を書くことに専念するのなら、その「全能感」も無害なものだ。
でも、舞台の脚本を書いた者がそのまま演出もする、というのがパターンとして多いような気がする。となると、いよいよ怪しげな香りが強まってくる。

どういうことかっていうと、つまりですね、その演劇作品が実際に上演された時、そこに現れるのが単に脚本を舞台上に転写したものになってしまう恐れがあるっていうことです。
言い方を変えると、脚本に書かれた言葉を忠実に再現しようとしてしまう可能性があるっていうことです。

言葉には〈音〉と〈意味〉という2つの側面がある。
たとえば「チョコ」という単語は、「チ」と「ョ」と「コ」という〈音〉の連なりですが、それは「茶色くて甘くて口に入れたら溶けてしまうお菓子」というような〈意味〉を表します。
本来この〈音〉と〈意味〉がセットになって一つの単語が成り立っています。
でも〈意味〉は、文脈によって用途が変わったり、ズレたり、膨らんだり、フットワークの軽いものでもあります。

演劇をつくる上では、この〈意味〉の「フットワークの軽さ」こそが、その作品世界を豊かにする鍵であるのだと思います。逆にいえば、〈音〉と〈意味〉がべったりと接着してしまった言葉では、複雑で豊かな世界は表現できないのだと思うのです。

となると、脚本には〈音〉を書き込むべきだと、わたしは思うようになりました。脚本の上では、〈意味〉によって言葉が連動するのではなく、〈音〉の流れを書き留める。脚本とはそうあるべきだ、そのように書くべきだと、特にこの「私たちの空」をつくっている最中は考えていました。

脚本に記された〈音〉を、役者は発します。その発声の仕方によって、そのときの姿勢によって、表情によって、つまり「音色」によって、〈意味〉は変化する。
それから、〈音〉は、役者が発する台詞のことだけを言うのではない。小道具や照明も(もちろん音楽も)ぜんぶ〈音〉だ。それらの使い方=「音色」によって、〈意味〉はどんどん増幅したりズレたりする。
脚本に記されている〈音〉を多様な「音色」によって奏でることで、豊かな〈意味〉が出現する。
いや、というよりも「捏造する」といった方が近い。脚本の〈音〉から〈意味〉を「捏造」する、それが「演出」をするということだ。

演出家が豊かな「捏造」をするためには、脚本とちゃんと距離を取る必要があるのだと思う。
「脚本家」が「演出家」を兼ねる場合、「演出家の私」は、「脚本家の私」の意図をどうしても汲んでしまう。そのことを避けるのはとても難しい。だからわたしはずっと、「演出」がわからなかった。どうやってやるべきなのか、自分が施す演出にまったくもって自信が持てなかった。いつまでたっても「脚本家」としての自分にお伺いをたてるようにして演出をしていた。

でも、この「私たちの空」をつくっているとき、ふと、「あぁ、そうか。」と思ったのです。



(当日は、約500人の方がお越しくださいました)

「私たちの空」は、役者として出演するのは全員小学生6年生の女の子。「大人」ではないし、訓練をしてきた「女優」でもない。いわば、「未熟」な存在です。
「未熟な身体」と「未熟な声」をもつ「未熟な役者」。その「未熟さ」は、ある意味では圧倒的な「強さ」を持っています。

どういうことかというと、「大人」や熟練の「女優」では、「未熟さ」を表現することがとても難しい、ということです。
なぜなら、「大人」や「女優」は、「未熟さ」を脱ぎ捨てることによって到達する場所だからです。
「未熟な身体」や「未熟な声」をもった存在に対して、「大人」や「女優」は、「未熟さ」においては勝ち目がありません。小さくなった服を無理して着ることは見苦しいので、それを簡単に着脱できてしまう人に着せよう、というようなことです。

で、「あぁ、そうか。」ってのは、この強度のある「未熟さ」に、脚本は「負け」てしまえばいいんだ、というふうに思ったってことです。
明確なイメージを設定して演じる少女たちにそこに合わせてもらう、そのイメージに沿うように指導する、というのではないってことです。
そうじゃなくて、「未熟さ」に負けて、その「未熟さ」をより瑞々しく表現できるような、そういった脚本にしたらいいんだ、と思ったのです。

そして、脚本が「負ける」ことを目指しはじめたとき、「演出」という方法も輪郭がクリアになってきました。
この作品においては、少女たちの「未熟さ」の強度を高めることで、劇作品として強いものになるのだと思えました。
演出は、脚本家の意向を慮るのではなく、脚本が「負け」を認めたその対象を思えばいいのだ。そう思えたら、なんかいろんなアイデアが浮かんできたのです。

だから今回の演出では、プロジェクターで映像を投影したり、音楽をガンガン使ったり、結構やりたい放題しました。やりすぎか?ってくらいに。
でも、手応えはあった。しかも、その手応えは、決して空っぽのものじゃないと思えました。その理由は、見にきてくれた人たちが、口々にコメントをくれたその内容にありました。

「『子ども達の演劇』というイメージを一変してくれた内容で、視点を変えたところからのメッセージだなと感じました」
「子どもの可能性って改めてすごいね!! 何でもない会話なんて、しにリアルだし!」
「子ども達がやるから、より考えさせられた」

これらのコメントをもらったとき、「負ける」という方法論の可能性を感じました。
やろうとしていたこととお客さんの反応がこれほどバチっと合ったことは、いままで演劇をやってきて体験したことがなかったからです。

正直のところ、劇が始まる前は多くの人が、「学芸会の延長」くらいのイメージを持っていたんじゃないかと思います。
わたしはそのイメージを覆したかったし、小学生にしかできない、子どもがやるからこそ意味のある、強度のある、そんな作品にしたかった。
そしてそれは、これらのコメントを見る限りある程度は達成できたのかなと思います。
もちろん、もっと改良できるところ、強度を高められるところはたくさんあります。でも、この方向性はイケる!という確信を得たのは大きい。これは非常に自信になりました。

ちなみに、この「負ける」という表現は、建築家の隈研吾さんの「負ける建築」というテーゼから勝手に拝借したものです。いっちゃうと「パクリ」なんですが、まあ、別にいいじゃないですか、今回ばかりは。
というわけで、今後とも「負ける演劇」をしっかりとめざしていきたいと思います。


(この子たちの可能性に「負けた」のです)

〈私〉の発生・拡散・収束 - 『Mr. Nobody』

***あらすじ***

『Mr. Nobody(ミスター・ノーバディ)』
2092年、化学の進歩で不死が可能となった世界で、118歳のニモ(ジャレッド・レトー)は唯一の命に限りある人間だった。ニモは記憶をたどり昔のことを思い出す。かつて9歳の少年だったニモの人生は、母親について行くか父の元に残るかの選択によって決まったのだった。(シネマトゥデイより)

 たとえば、〈私〉はいま自動車を運転している。そして目の前に交差点がある。
 さて、このとき〈私〉に選択肢が3つあるとする。直進、左折、右折(交差点のど真ん中で「停滞」は危険&迷惑なので選択肢から除外)。で、とりあえず、右折を選んだとする。
 実際に交差点を右に曲がったとき、急に道路に猫が飛び出してきた。焦って〈私〉はハンドルを切ったが、車はガードレールに激突し、〈私〉は大怪我を負う。すぐに病院に搬送され手術が施される。幸い一命は取り留めたが、長期入院を余儀なくされる。入院中、暇を持て余していると、若い頃に趣味で小説を書いていたことを思い出した。軽い気持ちで書き始めるとこれが想像以上に有意義で、興奮を誘い、どんどん筆が進む。退院するころには、納得のいく長編小説が書き上がっていた。せっかくだからと公募の新人賞に応募してみたところ、なんと大賞を受賞! 選考委員からも絶賛され、出版社から次作の執筆依頼が舞い込む。こうして〈私〉は小説家としてのデビューを果たすことになった。
 ここで〈私〉が〈小説家としての私〉となった道程を、時系列を逆向きに遡ってみる。すると、交差点に突き当たった。さて、ずっと前に〈私〉は、この交差点を「右に曲がった」のであった。この交差点を右に曲がって、その後いろいろあって小説家になった。つまり「右に曲がった」から〈私〉は小説家となったのである。
 17世紀の哲学者、ライプニッツは、「出来事」が「個体」を発生させるといった。「個体」つまり〈私〉が「右に曲がる」という行為をしたのではない。事は逆なのだ。
 ライプニッツの言葉を適用するなら、「私が右に曲がった」ではなく、「右に曲がったから私になった」と言わなければならない。もうちょっと詳しくいうと、「右に曲がったから〈右に曲がった私〉になった」ということだ。そしてこの〈右に曲がった私〉から分岐していった先に〈小説家としての私〉が発生したのである。
 逆に言えば、あのとき交差点を左に曲がっていたら、あるいは直進していたら、いまの〈私〉は小説家にはなれていなかったかもしれない。〈右に曲がった私〉という存在が出来事のあとで発生するのなら、〈左に曲がった私〉という存在をも想定することができる。〈左に曲がった私〉はもしかしたら、将来的に政治家になっていたかもしれないし、薬物中毒者として更生施設で半生を過ごすことになったかもしれない。
 このようなことはどの地点でも言える。もし右に曲がった直後に猫が飛び出して来なかったら? そのときは〈猫に飛び出された私〉ではなく〈何事もなかった私〉となり、まったく異なる世界を生きることになったはずだ。
〈右に曲がった私〉は〈猫に飛び出された私〉へ、その後〈ハンドルを切った私〉〈怪我を負った私〉〈長期入院する私〉〈小説を書く私〉……と延々とその分岐は進んでいく。これらの「出来事」ひとつひとつの地点においては、いくつもの異なる「出来事」が発生していた可能性を考えることができ、ということはさまざまな「可能性としての私」あるいは「可能性としての世界」が拡散的にいくつもの系列を形成していくこととなる。
「出来事」をきっかけに系列が分岐していく度、別の新しい〈私〉(そして〈世界〉)が発生する。ここで重要なのは、そのひとつひとつの〈私〉は、どれが現実の〈私〉としてもあり得る(あり得た)ということだ。
 ということは、いまここに現存している〈私〉というのは、さまざまに分岐しているうちのひとつの系列、すなわちあらゆる可能性のうちの一つの〈私〉が表象されているに過ぎない。現実の〈私〉がこの〈私〉であることに何ら必然性はない。つまりこの現実の〈私〉は、“たまたま”選択されたものだ。〈私〉がこのような〈私〉であることに絶対的な意味などは何も存在しない。べつに“どの〈私〉だってよかった”。それほどまでに現実の〈私〉とは儚く脆いものなのだ。
(ライプニッツは、自らの「最善世界説」の説明のために「可能世界論」を提唱した。いくつもの可能性の中からこの現実が選ばれたのは、それが神の意志であり、故に「最善」の結果なのである、ということ。)

 映画の中で何度も宇宙のメタファーが登場していたが、宇宙が誕生してすぐさま膨張したように、そして膨張し続けているように、〈私〉も発生の直後から拡散を続ける。将来的な収束を予期させながら。
 ニモもまた宇宙と同じように、自らのアイデンティティを次々に拡散させていく。時間の中を自由に去来しながら、場当たり的に次々と〈私〉そして〈世界〉を発生させていく。
 それでいて彼は、「私は誰であるのか」という問いへの回答を延々迂回して避けている。複数の〈私〉をひとつにまとめあげることを、つまり収束を拒んでいる。
 老いた彼は不法侵入してきた取材者に「私はノーバディだ」と嘯いたりしている。その取材者は、ニモの語る不透明で支離滅裂で矛盾だらけの〈私〉に頭を抱えてしまっていた。どれが本当のアナタなのか、恋人との関係は実際にはどうなってしまったのか。取材者はニモに、彼自身のクリアな人生史を、言い換えれば「自己同一性」を獲得した〈私〉であることを求めている。
 この映画を見ているわたしたちもまた、「自己同一性」の確立を願ってやまない。それは映画の登場人物であるニモに対してであり、またわたしたち自身にでもある。
 心理学者のエリクソンは自己同一性の確立を青年期の発達課題とした。その同定化に失敗したのなら(同一性拡散)、対人不安や非行などが現れてくるのだという。だから、取材者は自己同一的な語りを一向にしようとしないニモに苛立ちを覚えはじめる。取材者はニモを半ば狂気じみた人物として捉えはじめる。
 でも考えてみると、あっちこっちに散らばった〈私〉をひとつにまとめあげようとするふるまいの方こそ、不自然なものだといえないだろうか。
 わたしたちは日々様々な「出来事」に遭遇する。そのときありとあらゆる〈私〉が生まれ、そのうちのひとつが現実の〈私〉としてたまたま選ばれる。
 あらゆる〈私〉になることができる、そのような潜在性を秘めているにもかかわらず、それをひとつの型に押し込めてしまうことに無理が生じるのだと思う。そのようにして出来上がった〈私〉を、ただひとつしかあり得ない〈私〉を、わたしたちは本当に求めていたのだろうか。そんな〈私〉は、いかにも貧相であるとすらいえないだろうか。
 繰り返すが、エリクソンは「自己同一性」の確立が青年期の課題なのだと言う。それを達成できないと、さまざまな不具合を起こしてしまうのだと言う。
 でも、こうは言えないだろうか。そもそもその「自己同一性」を渇望しなければ、不具合を起こすこと、たとえば現実の自分とのギャップに焦ったり悩んだり、将来への不安を抱き続けたりするようなことも起きないのだ、と。
「自分とはなにか」とか「私は誰であるのか」とかっていう問題に、クリアカットな回答を提示しなければとわたしたちは強迫的に考えてしまっている。でも本当は、その「答え」なんて提示する必要はないんじゃないか。あるいは「あれもこれも〈私〉だ」でいいんじゃないか。そのように答えられる者ほど、豊かな人生を生きているといえるんじゃないだろうか。
 だから、同定され得ない〈私〉であり続けることを、ニモは死ぬ間際まで願ってやまない。〈私〉の輪郭がはっきりしないことを、むしろ喜んでいるようにも思える。
 映画の終盤、老いたニモは取材者に「わたしたちは存在していない」という言葉を、楽しげな表情・声色でもって発する。彼、つまりいまここで言葉を発している〈私〉は、数多ある〈私〉の可能性のただひとつであることを受容し肯定しているからこそ、そう表現することができたのだ。
 彼は、目の前の取材者が忌み嫌うような「ノーバディ」という存在を、ポジティブに転換することに成功している。「俺たちは存在してるかもしれないし、もしかしたら存在していないかもしれないけど、ま、でも、どっちだっていいじゃん」、そんなふうにお気楽に余生を送ろうと彼は決めたのだ。
 そして、彼は愛する者の名を残して死ぬ。そして死の瞬間に、〈私〉の発生は止み、拡散も終了する。そのときはじめて〈私〉は確定する。あらゆる可能性をすべて包括した〈私〉が、死の瞬間に成立する。
 そして、宇宙が誕生から今までの時間を逆向きに辿るように収束していくのと歩みを合わせて、ニモのアイデンティティも収束へと向かう。ニモ=〈私〉という存在が、死後、彼なき時間において記憶や記録に集約されていく。
 わたしたちは年齢を重ねる度、あるいは社会生活が長くなればなるほど、さまざまな属性を身につけたようでいて、それよりも多くの可能性を失い続けている。そのことに直面した哲学者の九鬼周造は「遠い遠いところ、私が生まれたよりももつと遠いところ、そこではまだ可能が可能のままであつたところ」を夢想した。
 この映画は、ありとあらゆる映像的技巧を凝らして「9歳の少年が想像した世界」を表現していた。すっきりまとめようとすることなく、可能性を棄てることなく、「可能が可能のまま」に輝いていた。
 制作者たちは、一貫性のあるわかりやすいストーリーではなく、混沌ともいえるようなしっちゃかめっちゃかな世界のなかにこそ魅力を見出していた。そんなふうな豊穣な世界を経験すること、可能性豊かな〈私〉であることを、この映画は観る者に提案する。そのことを、作品全体でもって表現していた。あぁ、楽しかった。いい映画をありがとうございます。

五月九月(ぐんぐぁちくんぐぁち)

五月九月(ぐんぐぁちくんぐぁち)
**あらすじ(当日パンフレットより)**

極上の琉球芸能をドタバタコメディーとともに
琉球王国時代の九月、首里城では中国皇帝の使者である冊封使を歓待するための宴の準備が整いつつありました。そこへ、翌年五月に来琉予定だった薩摩役人達も何故か首里城に向かっているという知らせが届きます。発音の似ている五月(ぐんぐぁち)と九月(くんぐぁち)を聞き間違えて、宴をダブルブッキングしていることが発覚して大騒ぎになりました。宴の総責任者である踊奉行は、急遽二つの舞台をこしらえて両方の宴を決行することになりました。綱渡りの舞台の幕が上がります。

五月九月(ぐんぐぁちくんぐぁち)という劇を観た。あらすじについては、上記を見ていただければと思う。劇を見ての感想。一言でいうと、楽しかった! ……フツー。フツーの感想。いや、いいじゃないか、フツーでも。
でもフツーなどと言われたら、男のプライドが泣くぜ。なもんで、いろいろと適当に、プライドを守るために、なにかを書いていこうかと思う。

あらかじめ断っておくと、わたしは琉球芸能、伝統芸能、古典芸能、などというものにはとんと疎い。だから、当たり前のことをこれから書き連ねるかもしれない。あるいは、まったくのトンチンカンなことをほざいているかもしれない。まあでも、知らないものは知らないので、それは仕方ないので、このまんまの教養レベルで書き進めていこうと思う。

なぜ「歓待」するのか。

中国の冊封使への歓待、薩摩への歓待、この歓待のタイミングが図らずもバッティングしてしまったことに起因するこのドタバタ。
なぜ、これほどまでに踊奉行や役者達は大慌てしていたのか。そのことをちょっと考えてみたい。
中国と日本という2国に挟まれ、しかもそれが自国とは比較にならないほど大きい、というように地政学的にいろいろと面倒そうな当時の(今もかな?)琉球。
この小さな島国は、周辺の「ガタイのいい」国となんとか関係を形成しながらでないとやっていけないような立場・状況であった。

そのためには、しっかりとした外交戦略が必要になってくる。
芸能というのは、当時の琉球にとって重要な外交手段であった。だからこそ、政府が多くのリソースを傾けてその開発と維持に努めてきた。
外交で目指されるものは、相手国との関係形成と自国の国益の拡大だ。

歓待をするのは相手国への「贈与」という意味合いだけではない。盛大なおもてなしを優れた芸能をもって行えるということは、その国が高度な文化的成熟を果たしていることのアピールになる。それによって相手国の「見る目が変わる」わけだ。うまくいけば「一目置かれる」かもしれない。それは琉球のような小さな島国にとっては重要だ。

また、膨大な人的リソースと1年以上もの準備期間をかけてまで行う「歓待」によって琉球が目指したのは、それぞれの国に「わたしたちは貴国の属国でございます」というポーズを示すことで、自国の国益を最大化させることであった。
ちょっと、以下のような、先輩と後輩の会話を思い浮かべて欲しい。

後輩「先輩、おはようございます」
先輩「おお、お前か。どうしたんだ、はやいな。このクソ寒いのに」
後輩「あ、どうぞ、これ。ホットココアです」
先輩「おぉ、気が利くなぁ」
後輩「そういえば先輩、この間の試合でのあのプレーすごかったっすね! しびれました!」
先輩「そうか?」
後輩「いや、まじヤバかったっす! 自分、この人に一生ついて行くわ!って、ガチで思いました」
先輩「あぁ、いや、そうかそうか」
後輩「いまのうちサインとかもらっといてもいいっすか?」
先輩「まあ別にいいけどよ。(タバコを取り出しプカーッと吸う)あ、お前も吸うか?」
後輩「いいんすか? ども、ありがとうございます」

ここで《後輩》は、ホットココアと忠誠心を差し出すことで、タバコという見返りを受ける。つまり、従者であることを徹底して示すことで、自分の利益を最大化させることができる。
このような「後輩っぽい」戦略こそ、琉球が中国や日本に対して採用していたものだ。

ただ、これを複数の《先輩》に対してやっていたとするなら、これはちょっと話がややこしくなってくる。
「お前、あいつにも俺にやってるのと同じようなことして取り入ってやがったのかコラァ!ツラかせやワレーッ!」的なことになってしまう恐れが山盛りだ。

だから、このようなしたたかな方法は、絶対に顕在化させてはならない。
そのことが発覚してしまうことを恐れたがゆえに、踊奉行や役者達は慌てふためていていたわけである。
描かれている登場人物たちのうろたえぶりが、この外交戦略がいかに綱渡り的であるかを示している。

「琉球」の相対化をめざして

八方美人で、場当たり的で、ときには二枚舌を使いこなし、四苦八苦しながらも芸能の上演をやり遂げようとする。そんな琉球人たちの姿をコミカルに描き出すというのが、この劇の主題であった(と勝手に考えている)。

この劇は、笑いどころの実に多い作品だ。そしてこの笑いは、自虐的な趣向のそれである。
たとえば、劇中劇として組踊の『二童敵討』を付け焼き刃で演じようというシーンなどが象徴的だ。
冊封使の一人が、人が足りないと慌てている踊り手たちの稽古場に紛れ込んだために、無理やり出演させられることになる。それが結局はハチャメチャな展開を巻き起こして、作品の中でも特に笑い声が響く場面として際立っていた。

組踊とは「型」の芸術である。代々受け継がれてきた「型」が、場所の移動や役の感情を示す重要な記号となる。その「型」を、この場面では徹底的に茶化している。冊封使という外の視点を介入させることで、「型」に穴を開けている。

「型」を崩すことで笑いを起こす、という仕掛けが狙おうとするその射程は、琉球という小さな島国、そしてそこで生まれた非常にユニークな伝統芸能、そこから発生するノスタルジックかつエキゾチックな小景、それらを相対化させることだ。

先ほど述べた「琉球の外交戦略の綱渡りさ」や「伝統芸能に従事する者たちの慌ただしさ」なども、相対化して笑いに変えられている。
言語の部分でも、組踊などにみられる特徴的な節や琉球語と並列して、現代的な日本語も使用されている。現代の視点を舞台に注入することも相対化の一形態である。

ひらかれる伝統芸能

「相対化」という言葉をさきほどから多用している。組踊や琉球舞踊などは門外漢のわたしのようなものですら感じられる「相対化」の多発現象。それは、伝統芸能が現代(現代人)に対してひらかれたものであろうとする証ではないだろうか。

一般的なイメージとして、いわゆる「伝統芸能」や「古典芸能」などというものは、「カタイ」という感じを抱く。「伝統」とか「古典」とかいうものを扱うときの所作で最優先されるのは、ふつう「保存」だからだ。それがどんなに難解であろうとも、観客の解像度レベルとつまみを調整することよりも、その作品自体が持つ本来的な要素を守り抜くことの方を重視する。

そのことがダメだとは思わない。芸術や芸能というものの機能が、わたしたちをその日常性から強制的に引き剥がしてしまうことにあるのだと捉えるなら、その作品の源流の最も高濃度な部分を「保存」することには大いに価値がある。

ただ、その純化が進みすぎると、伝統芸能は「絶対的」なものとなってしまう。それが何を意味するかというと、世界が閉じていく、ということだ。
せっかく豊穣な芸術的価値をもっていても、「絶対的」な存在は排他性を帯びていくという宿命を持つゆえ、その「絶対性」はいくらか解されなければならない。

そこで、「相対化」されたもの、すなわち作品がビューアブルなものであることに重要な価値が生まれる。それはまるでトロイの木馬のように、一見なめらかな手触りで観客のうちに入り込み、そのシステムの内側でパニックを引き起こす。
「娯楽的」で「わかりやすい」から、見る者はストレスを感じる間もなく作品世界に熱中できるが、時折、いつのまにか観客自身が作品世界に絡め取られてしまう、という現象も引き起こす。つまり、「気になって仕方なくなる」。

楽しかったねーとか泣ける……とかとはどこか感覚が違っていて、でも確実に自分の知的リソースの一部分がその作品に流入し凝固させられてしまっている。そこから、作品のみならずジャンルそのものへと興味がうつり、気付けばよりコアなものを求めるようになっていく。
文化や芸術にさらわれてしまった者は、ほとんどこのような道中を経ているはずだ。

今回の作品は、ドタバタコメディという「トロイの木馬」を観客に送りつけ、わたしたち観客は油断してその木馬で遊んでいる。つまり劇の内容に笑っている。
そうやってガハガハやっているうちに、不意に、劇中劇の形で舞踊がはじまる。ドタバタの部分と演舞パートがそのようにはっきりと区分けされた分だけコントラストが強く浮き出て、踊っている立方の所作や鳴っている音楽がとても美しく際立ってくる。
その美しさにうっとりしているとき、わたしたちは木馬に隠れていた侵入者たちに乗っ取られはじめている。

そして、舞台を観終わったわたしたちは(少なくともわたしは)、組踊や舞踊などの「伝統芸能」に、とりさらわれている。その証拠に、このような長文を書いてしまっている。もっと歴史とか型の示す意味とか昔のことについての教養とか勉強したらもっと楽しめそうだ、なーんて思ってしまっている。木馬に潜んでやってきた不法侵入者たちに、あっさりとその場を明け渡そうとしている。
はぁ、この忙しい時期に。。。
困ったものだ。

2種のメタ構造がもたらす緊張と緩和と緊張

劇を観に行った。『日付変更線』という公演で、全部で60本ほどの短編作品を、1公演10本程度ずつオムニバス形式で上演していく、というスタイルだった。
だから、日によって上演される作品も出演する役者も異なるらしい。なんてメンドーなことを!と感心というか尊敬というか身体に気を付けてという想いを抱くほどの、まあそんな感じの「クレイジー」な企画なのです。3週間くらいの期間上演しているらしい。
ウチ(チョコ泥棒)の公演は基本2日間で、それだけでも集客に四苦八苦しているというのに、そんな長期間ロングランできるなんて、ジェラシーを禁じ得ない。

会場の『わが街の小劇場』は、那覇のどこか(地名はわかりません)にある、観客が40名ほど入ればいっぱいになるような小さなハコだ。小さいハコは必然的に、舞台と客席、つまり役者と観客の距離が近くなる。
僕らチョコ泥棒が普段使っている『パライソ』というバーも、バーとしてはとても広々とした店内だが、劇場としては小さい(劇場ではないのだから当たり前だが)。
でも『わが街』はそれ以上に小さい。しかも、すぐ近くは那覇の繁華街であり、かつ住宅街のど真ん中にあるので、「生活感」というか「生活臭」というか、そういう類のものが劇場空間内にプンプンしている。時折かすかにだけど、外を通るバイクの音とか聞こえてくるし。

でもその空間としての小ささ、近さ、生活臭、というものは、必ずしもマイナス要素となるわけではない。それらはある種の「効果」として、劇作・演出のアイデアの一部として利用することもできる。
この『日付変更線』も、『わが街』のロケーションを活かした魅力的な空間形成がなされていたと思う。
たとえば、このオムニバス作品の多くがコント作品であった、ということである。それは1公演10本という事情から、それぞれの短編作品には練りこんだストーリーよりもインパクトのある展開というのが優先的に要請された、ということかもしれないが、でもそれが良かったと思う。
なぜなら、コントは「メタ構造」への耐用強度が高いから。

ふつう演劇では、「役者」は「役」を演じる。「役」として舞台に立っている。そのときの役者はあくまでも「役」としてふるまっており、「役者」自身としての存在は隠蔽される/しようとする。そうしないと、物語を駆動していくことにブレーキがかかってしまうからだ。
でもコントでは(お笑い芸人のそれを思い浮かべて欲しい)、けっこうカジュアルな形で「役」よりも「役者(芸人)」が前に出てきたりする。演じている「役」の奥に「役者(芸人)」がいることを自明のこととして、観客はその世界に没頭することができる。
今回の上演作品群でも、その「メタ構造」が多用されていた。はじめは「役」として舞台に立っていた人たち同士が、この人は「役者」である、と暴露することによって、「役者」同士の関係が現前に表われてくる。
その関係性の暴露じたいが笑いを引き起こしているのだが、それによって副次的に発生するのは、観客の巻き込みだ。つまり、「あなたたちのことも見えてますよ」と観客に訴えかけることによって、無理やり劇世界に引きずりこむことができるのである。

これは、舞台と客席、役者と観客の物理的な距離が近いほうがその効果があがる。
舞台と客席の距離を取ること、高さを変えること、それらは舞台空間と客席とが「隔たれたもの」であることを示唆するためになされる。舞台上の世界は別の世界ですよ、という宣言によって、観客は安心して座席にもたれることができる。
でも、その距離や高さが取り除かれた空間では、そうはいかない。だって実際に、手を伸ばせば触れられてしまうのだから。それは空間内部に微妙なサスペンスを生じさせる。それによって弛緩しようとする観客の背筋は伸ばされ、劇世界を間主観的なものとしてともに想像(捏造)することができる。

とまあ、ワーワー言うとりますが、一言でいうと、楽しめた、ということですわ(雑や!)。
なかでも、今回の公演のトリとして上演された『TRUE STORIES』という作品が個人的に特に面白かった。

この話は放送作家のキャンヒロユキさんが作・演出をされていて、キャンさんにはいつもいろいろとお世話になっていまして、なんて言っても取り立ててそんなに関わり自体はないんですが、まだ学生の頃とかにいろいろお話を聞かせてもらったり台本を読ませてもらったり、そういったことをしてもらった人です。

でも実は、キャンさんの書いた劇作品を観劇するのは、よく考えたらはじめてだった。キャンさんが構成したバラエティやコントはテレビでよく観ているのだが、なぜかいままで舞台は観る機会がなかった。

面白かった。さすがキャンさん。

なのでここでは、公演全体というよりも、『TRUE STORIES』の感想を書こうかと思う。
(公演はまだ続くし、ネタバレになるかもしれないから書かないほうがいいかな、とも思ったけど、どうせこの文章を読む人なんて5名くらいしかいないだろうし、そのうち4名は身内だろうから、そのあたりは気にしないで書くことにする)。

この『TRUE STORIES』も、同じように「役」を演じている「役者」の存在が暴露されるというメタ構造(演劇的なメタ構造)を劇中で発動させる。しかもそれはたぶん役者のアドリブで、かといってそれは役者が自発的に行なっているのではなくて、台本上に「ここはアドリブ」などと記載されたような形だ(たぶん)。
「役(登場人物)」としての物語上の関係に、「役者」自身としての関係をレイヤーとして重ね合わせていて、それによって生じる、物語と現実での人物同士の関係性のねじれ構造が笑えた。役者の少し恥ずかしいプライベートが暴かれる件などは、役者も観客も全員でドキドキを共有していた。

ただ、この『TRUE STORIES』が他の9作品と違っていたのは、「演劇的なメタ構造」のほかにもう1種類の「メタ構造」(物語のメタ構造)を構築していたことだ。

具体的に説明する(出た、ネタバレ)。
設定として、小説家と女性編集者のやりとりがまずある。小説家は新しい短編を書き上げたが、それが実は女性編集者が酔っ払って語った物語を下敷きに書かれたものであった。だからちょっと2人でチョコチョコ直そうよ、というのが話の筋である。で、2人で書き直した小説世界のやりとりが、別の役者たちによって演じられる。

この2つの世界、小説家と女性編集者が書き直しをしている世界(現実世界)と、小説の登場人物たちが物語を生きている世界(小説内世界)、という層になっていて、それらを交互に見せながら劇は進んでいく。

この小説家が書いたのが、『TRUE STORIES』というミステリー小説だ(劇中では特に言及されないが、おそらくそうなっている)。小説の登場人物は新米刑事とエース刑事。それから事件の被害者(死んじゃった人)と周囲の人間たち。その人物たちのやりとりが、アドリブ、一発ギャグ、歌ネタ、暴露ネタ、などが詰め込まれ、腹から笑えるコント作品として成立している。
その人物たちを動かしながら、小説家と女性編集者があーでもないこーでもないとやっていくわけである。これだけでも優れたコメディとして仕上がっていると思った。でも、話はここで終わらない(要は大オチがある)。

でも、大オチを言うと「お前は、、、」なんてなりそうな気もするので核心は言いませんが、でも言ってしまいたいというこの気持ちはどうしたらいいのだろうと引き裂かれてしまいそうなので、ちょっとだけ言います。

さきほど、この劇は、「現実世界」と「小説内世界」の層になっている、と書いた。そしてそれは「現実世界」のやりとりが「小説内世界」の行方を決定している、という構造である。

でも実は、この「現実世界」での小説家と女性編集者のやりとりというのは、「小説内世界」で登場人物が読んでいたミステリー小説の物語内部の出来事だったのである。つまり、ずっと物語の外部に存在すると思われていた「現実世界」こそ、物語の内部(内部の内部)に押し込められたものだったのである。
ここで一気に逆転が起こる。すべてを客観的に「見ていた/コントロールしていた」はずの存在は、実は「見られていた/コントロールされていた」受動的な存在だった。外側の層(現実世界)と内側の層(小説内世界)という構造が、劇的にひっくり返される。

この強烈なインパクトとともに、劇は幕となる。でもこのインパクトは、単に劇作品の内部のみで働くのではない。現実(わたしたちが生きているこの世界、という意味での現実)にもフィードバックされる。

この作品がわたしたちに突きつけるのは、わたしたちは客観的に何かを「見ている/考えている/コントロールしている」という無批判な人間中心主義が、実ははじめから何かの構造の内部に、あるいは別の物語の内部に絡め取られている、という違った(もうひとつの)現実である。あるいは、違った現実の捉え方である。「いま見ている現実が、ほんとうに現実なのだろうか?」というラディカルな問いを、この作品は私たちの前に提出したのである。

この作品が、今回の公演においてトリとして上演されたことには、決定的な意味がある。それは「この世界をどう見る?」という困難な問題を観客に突きつけたままで劇場の外に放り出す、ということだ。ガハガハ笑って、あー楽しかった、って言いながら帰ろうとする観客を、最後にギョッとさせるような、ある意味イジワルでもある。

この公演を最後まで見てしまったわたしたちは、その問題に向き合わざるを得なくなった。いちいち考えなくてはならなくなってしまった。いったいなにが『TRUE STORY』なのか、と。

『ダイヤのA(エース)』とアイデンティティ・クライシス

未完成で荒削りな主人公が、個性あふれるチームメイトや強力なライバルと切磋琢磨していくなかで、次第にその潜在能力を開花させていき、ついには強大な敵を打ち破る。
そのような「成長譚」が、野球に限らずスポーツ漫画の王道パターンであり、その話型は、読者に予めその展開自体をわかられていたとしても、興奮と熱狂を産出させる。
急速な成長を遂げる主人公は、いわば読者の分身であり、読者は彼(彼女)に、無意識のうちに勝利を義務付ける。私(読者)は主人公に半身を付託し、私の代わりに主人公に勝利(成長)をしてもらう。

これは単に「主人公に感情移入した」ということではなく、私たちが持つある性質についての話である。
たとえばHDDがテレビに接続できるようになって、見たいテレビ番組を保存することが簡単になった。以前のようにVHSへの録画しか方法がなかったとき、それは物質的に有限なメディアであり、なんでもかんでも録画する、ということはできなかった。
でもいまは、なんでもホイホイとボタン一つで記録に残すことができる。HDDにももちろん容量に限りはあるが、それは物質的な目に見える形ではない。それに、これまたボタン一つでサクサクと消去することもできる。
そういう便利な機能を使って私たちは、以前より多くの番組を録画するようになった。ただ、それらの番組を再生する機会は、増えたと言えるだろうか? 録画したまま、視聴しないまま保存されている番組。あるいは、一度も再生することなく消去した番組。そういったものは、どんどんどんどん増えている。
私たちは、容量を拡張し続けるメディアに、記録を請け負ってもらうと同時に、「視聴」までやってもらった気になっているのではないか。つまり、HDDに保存した時点で「すでに見た気」になっているのではないだろうか。
私たちは容量だけ食う録画番組のリストを眺めるだけで、満足できてしまう。そしてその番組を見ずに済むことで、浮いた時間を無為に過ごすことすらできてしまう。
このような「受動的」な態度さえ外部に委託できてしまう「相互受動性」を、私たちは所持している。

私自身が成長の快楽や勝利の美酒を浴びる可能性もあるはずなのに、私は、その私自身の「受動性」を主人公に譲りわたす。
彼(=主人公)が成長し勝利をする間に、私たちは、自分の部屋の掃除をしたり、お得意先を訪問したり、溜まったデスクワークを処理することができる。つまり、自らのプライベートや仕事をマイペースに過ごすことができる。私たちは、私たち自身が急激な成長をしたり勝利をしたりせずとも、主人公の快進撃を観察するだけで満足できる。それによってある種の「達成感」が、私自身にももたらされるのである。
この相互受動的な感性をど真ん中から撃ち抜くからこそ、スポーツ漫画の王道な展開を、読者は常に求め続けるようになる。

この「相互受動性」によってもたらされるのは、「達成感」のほかにもうひとつある。それは「感動」である。
ただし、読者(私)は、主人公の快進撃に興奮はしても、それ自体に「感動」をしているのではない。「感動」を享受するとき、その「受動性」を共有しているのは主人公ではなく「脇役」にである。
たとえば高校野球を題材にしたマンガ作品などには、ヒロイン的な存在として「女子マネージャー」が登場したりする。彼女は主人公に、私たち読者もうそうするように、「達成感」をもたらす受動性を委譲させている。しかし同時に彼女は、「感動」を感じる受動性は自らしっかりと握っているのである。どういうことか。
たとえば彼女は、主人公たち(プレーヤー)が心・技・体それからチームワークを高めるために、献身的に、あるいは時に積極的に介入しながら、自らの身体・精神・時間をそこに投げ出している。
ただ、彼女の仕事はプレーヤーのマネジメントであり、彼女自身が実際にグラウンドで汗を流しているわけではない。その意味で、彼女が得た「達成感」がどれほど大きなものであったとしても、それは間接的なものに止まる。
とはいえ、彼女は実際にプレーはしないが、チームの勝利のために労働をしていることは確かであり、だからこそ、勝利による「感動」を、彼女は直接的に授かることができる。
「感動」とは、本質的に受動的なものである。他者・外部から到来するなにかに、私たちは心を打たれる。だから、グラウンドの上で戦っているプレーヤーたちは、構造的に「感動」することはできない。「感動」は、その試合、そのプレーを見る側だけに与えられた特権なのである。
プレーヤー特有の「達成感」と傍観者特有の「感動」を同時に享受できる位置に読者は立っていて、その読者に、同時にしかもほぼ確実に「達成感」と「感動」を送信できるコンテンツとして、あらゆるスポーツ漫画が「王道」な話型を踏襲してきた。

そういった意味で『ダイヤのA(エース)』は、成長譚という王道パターンを踏襲したマンガ作品だといえる。
主人公の沢村栄純は、高校野球の名門・青道高校に所属する1年生投手である。
荒削りながら、先輩や同級生たちと競い合い、高め合い、甲子園を目指す、そういった物語である。
物語は、沢村の中学時代からはじまる。
沢村は中学時代、弱小野球部に所属していた。中学校最後の試合、最後の投球。キャッチャーが捕ることもできない大暴投をして、結果的にサヨナラ負けとなるが、その最後の「大暴投」を見初められ、彼は青道高校野球部にスカウトされることになった。
ただ、スカウトされた彼は、入学を渋る。彼はチームメイトに「このメンバーで甲子園に行こう!」と強く宣言していたから、その彼自身が野球の名門校である青道高校に入学することは、チームメイトを裏切ることになってしまう。その葛藤が、単行本の1巻のはじめで描かれている。
沢村とチームメイトとの対比が、読者自身のアイデンティティの揺らぎそのものである。
つまり、沢村という、強豪校に入学して甲子園で旋風を巻き起こすかもしれないという「理想(理想自我)」と、自らの能力や周囲との差を感じ取り、自らにブレーキをかけざるを得ないチームメイトという「現実(超自我)」。
この対置によって、読者は、自身の中で分裂してしまっている自我を、沢村とチームメイトそれぞれに投影させることができる。
そして沢村は、チームメイトから祝福して送り出されるようなカタチで、青道高校への入学を決める。
その時点で、沢村は、チームメイトの受動性(勝利による達成感を浴びる権利)を引き受けることになる。そして残されたチームメイトたちは、沢村という人間の形成に関与した「影の功労者」としての地位を得て、「感動」を受信する立場に自らを落ち着ける。
このようなセットアップを物語冒頭で完了させた時点で、『ダイヤのA(エース)』は、読者を心置きなく「達成感」や「感動」へと導く通路を開拓させることに成功したのである。

ところで、沢村が青道高校に入学するきっかけとなったのは、大暴投の際に彼が放った「ムービングボール」である。「ムービングボール」とは、簡単にいうと「クセ球」のことで、ストレートと同じ速さながら打者の手元で微妙に変化し、バッターがうまく捉えることが難しい球種だといえる。
沢村は、生まれ持った身体性(関節の柔らかさなど)や、そのクセを矯正されないような野球環境であったことも手伝って、無意識のうちにこの「クセ球」を駆使する稀有な投手になっていた。この「ムービングボール」こそが、沢村の個性であり、長所であり、唯一の拠り所であった。
ただ、この「ムービングボール」は、それを投じる本人自体がその軌道をコントロールできない、というところに特徴がある。どのような変化をするのか予測することは不可能で、ややもすると何の変化も起きないただの棒球(特徴のないボール)になってしまう危険性もある。
彼が青道高校でチームメイトとなる部員たちは、皆はっきりとした「強み・個性」を持つ選手たちだ。同じピッチャーの降谷は「豪速球」、内野の小湊は「バットコントロール」、女房役となる御幸センパイはキャッチャーとしての天才的な「頭脳」。
それに比べて沢村の「ムービングボール」は、いまいちハッキリしない。このことは、なにを表しているのだろうか。
さきほど、沢村は読者自身の「理想(理想自我)」の投影である、と書いた。
沢村という存在は、弱小野球部という決して恵まれたとはいえない環境で育まれ、それゆえにその環境でしか獲得され得ない希少的な能力を授かった(はずの)者である。際立った才能を持たずとも、徹底的に鍛えられた技術を持たずとも、彼自身に本来的に備わっている「なにか(個性)」が、いわゆる野球エリートとの階級差などの閉塞を打ち破る突破口となる(はず)。
この部分の「沢村」を、読者自身としての「私」に置き換えても、この文章はそのまま成立する。
つまりこの「沢村」という主人公の設定は、自分が何者であるか曖昧でありながら、でも何者かでありたいと願う私たちの「アイデンティティの危機」をそのまま記号化したキャラクターなのである。
だから読者である私たちは、沢村に「成長」してもらわないと困る。「勝利」してもらわないと困る。なぜなら、沢村の「停滞」はそのまま私の「停滞」を意味し、彼の「敗北」は私の「敗北」であるから。
これにより、私たちはより沢村への同一化(投影)を強める。彼の一挙手一投足に一喜一憂する。読者から主人公への「転移」が、ここでは強化されることとなるのである。

この作品の中ではよく、沢村がひとり、重いタイヤを引いてダッシュをしているシーンが描かれる。夜遅く、グラウンドには沢村以外に誰もいない。そんななかでの自主的なトレーニングを行いながら、彼はエースになる自らの姿を思い描いている。
彼の人知れぬ努力や心意気を、知っているのは、世界のなかで読者しかいない。読者だけが、彼の姿を観察している。その事実は、読者自身に不安を抱かせるものである。沢村(=読者)の頑張りを、誰かに見ていてもらいたい、認めてもらいたい。でも、周囲を見回しても、私以外にその頑張りを評価してくれる者はいない。そんなときに私たち読者は能動的に、受動的な存在を探すようになる。
そうしていると、実は沢村の自主トレーニングを遠くで見つめている人物がいる、というコマが挿入される。それは多くの場合、「あいつもよくやるなぁ」「悔しがってんだなぁ」などというつぶやきを交わしながら、視線を沢村に奪われている先輩たちの姿である。
そこで私たちはようやく不安を解消することができる。沢村の姿を観察するという受動性を引き受けてくれる存在(先輩たち)が見つかったので、それを全部彼らに任せてしまって、安心してまたストーリーにのめり込むことができるのである。

これらのようなやり方で、『ダイヤのA(エース)』は、私たちのアイデンティティに揺さぶりをかける。そしてスポーツ漫画の「王道」的なやり方で、主人公の成長や勝利を、私たち読者に追体験させる。そして私たちはその流れに自らを重ね合わせ、自らのアイデンティティを再確立しようと試みる。
そう考えると、「王道」的作品というのは、もはやコンテンツというよりも、読者の自我の「容れ物」として考えることができるのではないか。自らの理想や感情をそこに自由に挿入することができるように最適化されたものとして、「王道」的パターンを再定義することができるのではないだろうか。
王道的スポーツ漫画の生み出す興奮や熱狂は、「アイデンティティの確立/危機」という、すべての人に共通するテーマを提示することによって産出されているのであり、だからこそ幅広い読者を獲得することができるのである。

「お祭り空間」において要求されるふるまいについて

僕はお祭りが苦手だった。
お祭りに行って、まっすぐに歩くこともできないほどの人混みに表情を硬直させ、屋台の前を横切りながら異様に利益率の高そうな商品に向かって「高い」と独り言ち、肌にまとわりつく湿った熱気からの脱出を望んで近くのコンビニを検索する。そのようにして僕は、僕をお祭りに連行した人間に「我の絶望」を表現してみせるのである(僕から誘うことなど皆無なのである)。

僕はお祭りが苦手だった。というより、「お祭り」で浮かれている大人が苦手だった。
大きな声で元気よく、羽目を外してはしゃいでいる「大人」を見るたび、どんより鬱屈の塊が胸に巣食ってしまうのだった。
祭りに行くたびに、「楽しむとは、こういうことさ」という「上から目線」(一方的な被害妄想であることはわかっています)なふるまいを見せつけられたら、だいたい、「うるせー!」と敵対的な態度をとるか、「はいはい、ご自由にお楽しみくださいな」と「逆上から目線」でマウントを(自分の中だけで)奪い返すか、どちらかの応答しかできないのである。
だから、祝祭空間の中心から発せられるポジティブでアクティブなエネルギーから逃れるように暗がりで不機嫌そうにタバコを吸っているおとうさんに、こちらは勝手なシンパシーを抱くのであった。

おそらく、僕と同じように「お祭り」に苦手意識を持っている方は意外といるんじゃないだろうか。
そうだろう、そうだろう。君も苦手だろう。僕と同じで、君も「お祭り」に対して「フンッ」なんて思ってるんだろう。
だが申し訳ない。僕はもう、そんな僕じゃないんだ。もう、いまの僕は、あなたとは違うのです。
先日やっと、「お祭り」の空間に要請されるふるまい方を把握することできた。これは大変なことである。これがわかれば、もう「お祭り」に対して不穏な感情を持つ必要がない。

では、「お祭り」での適切なふるまい方とはどのようなものか。結論から言おう。それは「別に楽しまなくていい」ということである。
もっとも、ベストなソリューションは「お祭りには行かない」というものであることは言うまでもないのだが、大人になるとは「お祭りに誘われたら渋々でも足を運ぶ」ことであるので、その選択肢を採用することは社会とのコミュニケーション拒否を表明することになるのです。それでもいいならそうしたらいいと思いますが、それだとお祭りうんぬんの前に社会人としてどうなのってことになるので、あれです。

僕が上に提示した「別に楽しまなくてもいい」というソリューションは、「お祭り楽しい」と「早く帰りてぇ」の間に位置する。
基本的にお祭りを楽しめない人間は、はやくこの場を去りたいと考える人間である。無論、お祭り空間を牛耳るのは「お祭り楽しい人間」であるので、彼らは、自分たちのテンション・モチベーションに追随してこようとしない「早く帰りてぇ人間」にムッとする。そうなると、楽しめるやつだけ楽しめばいいという思想を拡散させ、「お祭り楽しい人間」と「早く帰りてぇ人間」のあいだにはっきりとした断絶が生まれてしまう。そうして終いには、互いが互いを敵対するようになる。その後続々とお祭り空間に入ってくる人々は無意識のうちに、この2つのうちのどちらかに自らをカテゴライズし、そうしてその境界線はよりくっきりと浮かび上がってくる。

「別に楽しまなくていい」というのは、そこに第3のカテゴリーを形成することを目的とはしていない。そうではなくて、第1カテゴリー(お祭り楽しい)と第2カテゴリー(早く帰りてぇ)あいだでの対立から、もう一つ次数を上げた視点への乗り換えを両者に求めるのである。
そう考えるときに重要な切り口となるのは、なぜ「早く帰りてぇ人間」がお祭り空間の中に存在しているのか、ということです。
彼らはその空間の中に、隅っことはいえ、はっきりと居場所を獲得できています。これは、彼らの存在がお祭り空間に必要とされているということを意味しています。「お祭り楽しい」カテゴリーからは排他されても、「お祭り空間」からはその存在を保証される。これが意味しているのは、お祭り空間の適切な運営においては多様性の確保が決定的に重要である、ということであります。

もし空間内に存在するすべての人間が「お祭り楽しい人間」であった場合、純粋な熱狂がそこでは発生するが、それは得てして「宗教的」なものである。純粋性を希求する「宗教的」なものはその過程で必然的に「排除」を要請するのであり、そうなると一見的なふらっとお祭りに行ってみようとする客層を取り込むことに失敗するだろう。そのためには、純粋な熱狂が生まれにくい状況を確保しなければならない。
ただ、熱狂のないお祭り空間というのは単純に「盛り上がっていない」というふうに捉えられる。そうなると、これまた動員に悪影響を及ぼしてしまう。

そこで「お祭り空間」が組織的に採用した解決策が、中心に「熱狂」を置き、周縁に「倦怠」を配置するということだった。
だからカテゴリー間の対立というのは、実はディストピア的な帰結ではない。適切な運営を図ろうとするお祭り空間から要請されたものだったのである。

そしてそのときに重要となるのは、中心と周縁、つまり「熱狂」と「倦怠」を行き交うことができる層を出現させることである。それこそが「別に楽しまなくてもいい」第3のカテゴリーなのである。「別に楽しまなくてもいい人間」たちの場当たり的で奔放な移動というのが、第1カテゴリーと第2カテゴリーの間に通路を開拓することになり、お祭り全体の流動性を確保することになる。それによって、誰でも気軽に立ち寄りやすい「お祭り空間」を立ち上げることができるのである。

僕はもともと、「早く帰りてぇ人間」であった。でも、そのカテゴリーに属している限り、空間内では不機嫌なふるまいをみせるという表現方法でしか自分を確立させることができなかった。だから僕は、「別に楽しまなくていい人間」への移籍を行おうと思う。
「別に楽しまなくていい人間」に求められるふるまいは、「とりあえずリアクションだけする」ということである。屋台の前を通ったら「あ、焼き鳥だ」「射的やってるな」「金魚すくい懐かしいな」などというコメントを反射的に発するだけでいいのである。そこでは必ずしも「楽しい」を表現する必要はない。ただ歩いてコメントをする、というだけの行為で、お祭り空間の適切な形成過程に一役買っているのである。そう思うと、なんだか悪い気はしない。お祭りに行ってやってもいいかな、って思う。
そう思うことができたら、これはもう「立派な大人になった」っていうことにしていいのである。


p.s.
本日は、県内でもわりと大きな規模のお祭り「読谷祭り」があるようです。
みなさま、楽しんできて下さい。

なぜ子どもたちは、(イヌではなく)ネコの真似をするのか。

どうも。兼島と申します。
公演が終わって1ヶ月以上過ぎ、チョコ泥棒の活動は落ち着いていますが、今度は小学生と一緒に劇を作ったりしていて、いろいろと忙しくなっております、、、
こんな忙しい時ほど、なんらかのかたちで現実から逃亡したいと思うのが人間の性ですので(わかりませんが)、朝から日記感覚で文章を書くことをしております。
んで、最近ちょっと考えて面白かった話を。

わたくし、こんなことをする傍で保育園の園長をしておるのですが(しっかりせい!!)、年少クラスの先生が、デイケアで残った子どもたちが遊んでいるのを見ながら、ふと「なんで子どもたちって、イヌじゃなくてネコの真似で遊ぶんですかね?」とつぶやきました。
はっ!となる。
たしかに。
子どもたち同士で遊んでいる様子を見ると、ネコの真似をして「ミャーミャーミャーミャー」やっていることが多い気がする。「ワンワン」などと吠えながら遊んでいるのを見ることは少ない。
はて。これはどこの園でもこのような傾向になるのでしょうか?

「ワンワン」という記号表現に男性的な意味内容を付設し、「ミャー」には女性性を記号内容のうちに加えている、という仮説も考えられます。
うちの園は男女比でいうと女の子の方が多いから、だからネコが多い、と仮定することもできないことはない。でもそれじゃ、私自身は腑に落ちないのであります。
なぜかって、男の子もネコになって遊んでいるから。

じゃあなんでしょうか。
それはたぶんですね、ネコとイヌの違いってのは、コミュニケーションのあり方の違いなんじゃないかとパッとひらめいたのです。
犬の鳴き声は「ワンワン」(アメリカでは「バウワウ」です。とかそんなのはいいので)ですが、でもイヌは、「鳴く」ってより「吠える」というふうに表現されます。「イヌが『ワンワン』と鳴く」より「イヌが『ワンワン』と吠える」の方が、ふつう文章としてしっくりくるかと思います。
「吠える」の発信者から受信者への要請、つまり吠えた側から吠えられた側へ求められる応答は、なんらかの「行為」である場合がほとんどかと思うのです。
たとえば、番犬としての務めを果たすべく吠えまくっている犬が、その「吠える」べき対象に発しているのは「早くここから出てけ!」というメッセージです。あるいは、「お願いだから帰ってください」という懇願です。ほかにも、「飯をくれ!」という「ワンワン」や、「暇だ!付き合え!」という「ワンワン」などもありますが、いずれの「ワンワン」も、受信側に「行動」を要求しているのです。

一方猫が「ミャー」と鳴くとき、そのときに発信しているメッセージはほとんどない、と考えていいんじゃないか。
まあたまに「ニャギャーッ!」みたいな威嚇をしているところをアニメなどで見たことはありますが、基本的にネコって、知らん人の前で鳴くことって少ないんじゃないか、っていう印象を私は持っています。
じゃあ鳴いたときは、ネコは何を要請しているのか。それは単に「返事」じゃないか。「ミャー」という鳴き声に含まれるコンテンツよりも、受信側に同じように「ミャー」と返信してもらうという、その交信自体に大きな意味があるんじゃないか。そういうふうに思えるのです。
「ねえ、聞こえてる?」「あぁ、聞こえてる聞こえてる」というやりとりのうちに、双方は互いの接続を確認でき、安心感を得ることができます。
遠く離れた恋人同士が、中身のない話を延々と繰り返すような長電話をするのには、「つながっている」ことを確かめ合い安心感を得る、という大きな意味・効用がある。そのことを双方が直感できている場合は、遠距離でも関係性を維持することは可能でしょう。でも、どちらかが「で、何が言いたいの?」とか「そんな意味のない話なら電話切るよ?」とかってコンテンツを重視しだした途端、その関係性は終焉へと向かって駆動し始めます。
これは恋人関係に限った話ではありません。
例えば、私たちの社会では、「おはよう」という言葉には「おはよう」と応答しなければならない。それは朝に限らず、例えば午後から業務がはじまる職場などは、たとえ深夜だとしても、「おはよう」と言われたら「おはよう」と返さなければならない。「おいおい、もう深夜だぞ。こんばんわだろ」という言葉は野暮である。そんなこというやつは嫌われます。
なぜなら、「おはよう」の重要性はコンテンツにはないから。「朝早くからご苦労様です」というような意味内容を伝えたいのではなく、「おはよう」という返信をもらいたいのです。それは「あなたとわたしは同じ場所にいる」「あなたとわたしはつながっている」という確認作業であり、どんなに意見が合わない相手でも「とりあえずこの場においてはなんとかやっていこう」というようなメタメッセージを「おはよう」は含んでいるのです。
だから挨拶を軽視したり返事をしない人というのは、「場の共有」や「つながり」を拒否した人間として、そのコミュニティから自ら退散していったものとして認知されることになります。

イヌ的な「効率的」で「ビジネスライク」なコミュニケーションは、集団内でなにか一つの目標をすでに共有している時にはビシッと機能するでしょう。新企画のプロジェクトチームみたいな、そういったイメージでしょうか。
それからしたらネコ的なコミュニケーションは、地元の仲間との飲み会、みたいなイメージに近いかもしれません。ほとんど意味のない会話、何度も聞いた会話、そういった会話を延々積み上げていくような場。とりあえずワーワーやって、後になって何を話したかほとんど覚えていないような場。でもその、「無意味な時間」それ自体が、周囲とのつながりを確かめ合うには決定的に重要なのです。

子どもたちは遊びの場において、なぜイヌではなくネコの真似をするのか。
子どもたちは遊びの中で、「つながり」を確かめ合っているのです。「同じ場所にあなたとわたしがいる」という事実に包まれることで、安心して遊びの場に入っていくことができる。そのことを本能的に知っているからこそ、子どもたちは「ミャーミャー」と鳴きながらじゃれ合っているのです。

「沖縄を変えた男」の話をします。


「沖縄を変えた男」
という映画の話をする。

僕は小学3年から高校卒業まで、約10年間野球をやっていた(よくもまあ)。
野球経験者が野球の映画やドラマを見るときには、どーしても、役者たちの身体が気になってしまう。例えば、投球フォーム。そんなヘンテコな投げ方でどうしてあんな豪速球になるんだよ!みたいな感じの気持ち悪さがもうウギャギャギャッ!ってなるんです。ほかにもユニフォームの着方だとか強打者の力感だとか、実際に体感してきた野球と画面に映るフィクションの野球ではとんと別物である。だから野球ドラマおよび映画を観るときには、「プレーを見ない」という所作が、われわれ野球経験者には求められているのである。

それからこの映画は、タイトルにもある通り、「沖縄」の話である。映画やドラマに出てくるの「沖縄人」の喋り方は、過剰にデフォルメされた言語運用(訛り・イントネーション・方言など)がなされ、正直観ていてモヤモヤ~っと気持ち悪くなる。「こんな喋り方しねぇ~よ!」ってなっちまうのである。
というふうに、この映画を観るにあたり、2つの「気持ち悪さ」を乗り越えなければならなかった。

というか、ふつう「気持ち悪い」と思われる映画を観に行かないでしょ、でも今回はちゃんと観に行ったっていう部分を誰か褒めて。
で、実際に観て、「気持ち悪さ」は確かにあった。まあそれは仕方ない。でも、幾分かは軽減されてもいた。出演していた役者さんや芸人さんには、たぶん野球経験者が多いのでしょう、ウギャギャギャッ!なフォームの人は数名しかいなかった(ニッ○ーさんとか)。で、言葉の面でも、まあ出てる人皆沖縄の人なので、まだ耐えきれるレベルのものではありました。
という「気持ち悪さ」を乗り越えるマインドセッティングの話はこれくらいにしといてですね、、、

この映画は、沖縄水産の裁(さい)監督のはなしです。高校野球をやっていた人はだいたい知ってるんじゃないでしょうか、でも世代的には僕らくらい(20代後半くらい)がギリギリなんでしょうかね?
映画では、強化のため、あるいは勝利のためなら手段を選ばない裁監督(ゴリ)の狂気と寂しさが描かれる。多感なお年頃の球児たちを、怒鳴り、殴り、支配する。
「勝つためには何をやってもいいのか?」という問いにも、「ええ」と涼しく流すのか「当たり前だ!」と叫び声をあげるのかはわからないが、まあどっちにしろ「YES」と応えることでしょう、映画の中の裁さんならば。

ストーリーとか演技についての話は、ここではあんまりしませんが(察して!)。
でもそこで何が描かれていたのか(と同時に何が描かれていなかったのか)を見ることで、沖縄について考える上でナイスな題材ではあると思います。

裁監督は、先ほども書いたように徹底的に勝利にこだわる。殴る蹴る恫喝する、それらの行為を高校生相手にも辞さず、暴君としてふるまう。それもすべて「甲子園で勝つ」ためである。でもなぜ、彼はそこまで「甲子園で勝つ」ことにこだわるのか。そのことを少し考えていきたい。

映画の冒頭、幼子を背負い戦火を逃げ惑う母親と、爆発の炎が背中に点火し泣きじゃくる赤ん坊の姿が描かれる。その赤ん坊こそ、この映画の主人公、裁監督である。
その後、劇中で数名の人間から、甲子園で「沖縄のチームが優勝しない限り、沖縄の戦後は終わらない」というフレーズが語られる。また球児たちにも「監督は戦争やアメリカやナイチャーを憎んでいる」とも語らせている。
それらの台詞・シーンを通過させることで、監督がユニフォームに着替える際に映される背中(の火傷跡)に、「戦争への嘆き悲しみ」や「沖縄県民の苦しみ」という意味を付託している。

だがしかし、沖縄の戦中・戦後の悲しみや苦しみすべてを(文字通り)彼の背中に背負わせてしまうのは危険だ。そうやって最前線に立たされてしまった人間は、「後退する」という選択肢を組織的に奪われてしまうことになる。強硬で雄弁な姿勢以外、彼のフォロワーたちは認めてはくれないだろう。その過剰な政治的および精神的負担は解されなければならない。
実際裁監督は、「沖縄のチームが優勝しない限り、沖縄の戦後は終わらない」という彼が語ったとされる言葉を、「戦争と野球は違う。そんなことを言ったら、戦争で亡くなった方に失礼だ」と自ら否定する。(引用元はこちら)

ではなぜ、彼はあれほど狂気的なまでに「沖縄のチームが甲子園で勝つこと」を切望したのだろか。
その本意は、「監督は戦争やアメリカやナイチャーを憎んでいる」というセリフに表象されるような物理的・地政学的な「本土」対「沖縄」という構図のうちにはない。
それよりもむしろ、裁監督が再考を突きつけたのは、沖縄県民が内面化している「沖縄」のイメージに対してである。
そのヒントは劇中の「沖縄の人間は、仲間意識が強く、競争を好まず、打たれ弱い、、、それを克服するには優勝するしかないんだ!」みたいな台詞(はっきりとしたアレは忘れたので、こんなイメージだったっていう)にある。

戦前から戦後にかけて、「日本」あるいは「内地」/「沖縄」の関係性は、つねに「支配」/「被支配」(「差別」/「被差別」という側面も)という文脈で語られてきた。
「被支配」の文脈に置かれた沖縄の人たちは、集団内のつながりを強め、「被支配」ではあっても「服従」はしなかった。「内地」におけるニュートラルな感性に深層的に同調することはなく、沖縄独自の文化戦略を敷いた。「内地とは異なる」部分を自らのうちに見出し、それを「沖縄っぽさ」として前面に押し出すことにより、自らのアイデンティティを把持し、なおかつそれを対内地における重要な武器として利用した。
沖縄が選択した戦略は、「楽園」になる、ということであった。内地での競争主義的なレールから逃れ、ここに来ればゆったりとした時間が流れている。自然も人もあたたかく、あざかな色彩や心和むような音に溢れていて、現代社会に疲れた心身を癒してくれる。
というようなかたちで「内地」との差異とそこから派生する分断を強調することにより、沖縄は「内地」との関係の中でしっかりと立ち位置を確保することができたのである。
このパラドキシカルな生存戦略によって、差別的な扱いを受けていた状況を転倒させることに沖縄は成功した。

しかしその組織的ブランディングが功を奏した反面、この戦略は次第に沖縄の人間が「内に籠もる」ようになるという現象へと帰結していく。それは、その戦略を採用した以上避けることのできないものであった。自ら差異を強調することで得た立ち位置は、その差異を維持し続けることでしか守ることができない。つまり「内に籠もる」ことでしか、アイデンティティを保つことはできないのである。

「内に籠もった沖縄人」は、独自のルール、独自のコードを所有し、仲間内の結束を常に確かめ合ってきた。「内地」との同化を目指さずに独自のルールを適用することで、「沖縄」は延命に成功した。だが、ここで注意しなければいけないのは、仮想敵として想定していた「内地」は、実は強大な「依存先」だということだ。「内地」があってこそ「沖縄」の独自性が確立されるのであり、その関係性は「圧倒的多数=内地」対「ごく少数=沖縄」であるわけで、沖縄のドメスティックな環境下でのみ適用されるルールなど、内地に行けばすぐに掠れて消えるものであった。つまり、差異をもとに形成された「楽園」というブランディングは、圧倒的なホームアドバンテージを駆使するという策略であり、アウェーの地でもその利点を活かすことに必ずしも成功したわけではなかったのである。

そしていつしか、アイデンティティの形成に利用した「『内地』との差異」が、今度は自らを囲う「檻」として作用するようになった。
「内地」との対比によって形成された「沖縄ってこうだよね」「沖縄の人って〇〇だよね」というイメージを、沖縄人自らが主体的に取り込んでいき、いつからかそのイメージの方が「真」となった。そのイメージを個々人が積極的に採用し、より純度の高い「沖縄」を反映させる。
しかしそれだと、「圧倒的多数=内地」対「ごく少数=沖縄」という構図は、いつまでたっても瓦解されない。そのイメージに寄り添う沖縄人は、「ごく少数」のうちにとどまるしかなくなるのである。

「ごく少数」にとどまることで何が起きるのか。「犠牲」である。
「圧倒的多数」を守るために、「ごく少数」を差し出す。その「差し出されるもの」としてのふるまいを、沖縄人は自ら身体に刻んでいったのである。

では、沖縄にとって「犠牲」とはなにか。導き出されるものは一つ、「基地」である。
「犠牲」という言葉には違和感を持たれる方もいるかもしれないが、ここではそのまま論を進めていく。日本にある米軍基地の70%が沖縄に集中してる現状は、「犠牲」と呼んでも仕方ないことだと思う。

とまあどうしてこの映画で「基地」の話に繋がるのか。劇中で「基地」についての言及は一切なされない。この映画は「野球」の話だ。
だが、この「野球」と「基地」には共通点がある。それは双方とも、アメリカから到来し、日本に根付いたものである、ということだ。
アメリカから輸入された「ベースボール」は、「野球」へと変換されて日本中に広まった。
一方「基地」は、圧縮されて沖縄に固定された。他県にも「基地」はあるが、「日本中」ではなかった。

さきほども書いたように、裁監督は幼少時代、戦争で背中に火傷を負った。
戦争が終わり、彼が、ひどい火傷を背負ったまま辿ってきた人生は、そのまま沖縄の戦後史と重なる。
戦後の沖縄は、ご存知のように、日本であり日本ではなかった。日本に復帰した後も、日本とアメリカの両性を具有している。

「ボールを握ったのは、小学校4年生のとき。ソフトボールを米軍兵士からプレゼントされ、見よう見まねでキャッチボールを始めました。ボールもグラブも、バットも、すべてが米軍のお下がり。その頃、沖縄の男の子は、10人中10人が野球小僧でした」(引用元はこちら)

と裁監督は言う。彼がはじめに触れたのは、「野球」ではなく「ベースボール」だったのである。

アメリカと日本、2つの国の狭間で揺れる複雑な世相のなかを、戦後の沖縄人は生きていくしかなかった。日本への復帰後も依然として基地は残り、アイデンティティは混沌としたままだった。そうしたなかで多くの人は、「楽園」としての沖縄に自らをカテゴライズするようになっていく。そうすることで心身に安寧をもたらすことができるのだから。それは別の言い方をすれば、日本でもアメリカでもない「仮想の独立国」として自らを定立させることであった。
沖縄人は「ベースボール」でも「野球」でもない、「沖縄野球」とでも呼べるものを作り出したのである。

沖縄の高校が甲子園で勝てなくても仕方がない。だって「野球」と「沖縄野球」は違うのだから。「野球」では負けても「沖縄野球」で負けたことにはならないのだから。そういった論理を無意識のうちに採択してしまえば、負けたことにいちいち気落ちする必要がなくなる。仕方ない、とさらっと流すことができる。

でも裁監督はそうしなかった。沖縄の球児たちが「沖縄野球」のうちに安住することを許さなかった。そうしている限り、「犠牲」として差し出されても対抗する術を持てないから。
だから彼は「野球」、とりわけ「甲子園」にこだわった。「甲子園」は「野球」のなかでも特別な場所である。それはつまり、とりわけ「日本的」だということだ。「甲子園」とは、「礼儀」や「滅私奉公」などの日本文化的・日本精神的なものを「野球」に注入したものなのである。
日本に復帰した以上、日本人としての権利を沖縄人も持てなければいけない。そのためにはいつまでも「特別視」されるわけにはいかない。有事には「特別」なものから先に「犠牲」になるのだから。沖縄人は日本人である、という宣言、それが「甲子園優勝」なのである。

と考えるなら、この映画のなかで語られる(語られてはいないが)「基地」については、賛成とか反対とか、そういった話ではない。「基地」に翻弄され続ける沖縄人の「人権」についての問題提起なのである。沖縄人の日本人としての「人権」を取り戻す話なのである。
劇中の裁監督は、「内地」に対して沖縄人の人権についての異議申し立てを行うのではなく、沖縄の人間に対して、彼らの中に根付く無意識な「沖縄野球」の精神からの脱却を促す。それを達成しなければ、「犠牲」を強いられたままの不釣り合いな関係性は溶解できないのだ。だからこの映画は、「甲子園」を撮さない。劇中で描かれるのは「沖縄大会」である。自らのアイデンティティに問いの拳を振りかざすこと。それがこの映画で、裁監督という人物を通して描かれていたことである。だからこそこのタイトルは、『沖縄の野球を変えた男』ではなく『沖縄を変えた男』なのである。
ただ、その「人権宣言」が暴力にまみれているということが、事態を混沌とさせているのであるが、、、

というような拡大解釈を試みたわけだが、冒頭に書いた「2つの気持ち悪さ」を乗り越えたことに免じて、このヘンテコな妄言を許していただければ幸いである。

NEW ARRIVAL

稽古の合間の悪ふざけ
(むしろこっちがメイン)

稽古とは名ばかりに、いい大人が集まって記念碑的な愚の骨頂を生みだしています。こんなことしてると、社会は甘っちょろいと実感しますね。

チョコ泥棒、
動画配信はじめました。

あの劇団チョコ泥棒が、過去の公演動画をアップしております。低画質、固定アングル、観客とカブって見えにくい、などの障壁を乗り越えてご覧下さい。

「ハゲの歌を聴け」
チョコ泥棒コーラス部

2014年。今年もチョコ泥棒コーラス部が始動。稽古時間を削り、レコーディングに1時間近くを要し、このクオリティ。逆に拍手を贈りたくなります。

堕落論。

あなたがもし落ち込んで自分を責めてしまうとき、ぜひ読んでみてください。こんなヤツでも生きているんだから、と自分を許してあげることができます。

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沖縄市の保育園、『エンジェルズ スクール』の一室を図書室にしてしまおうという秘密の計画を、準備段階ですが世界中に公開致します。

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チョコ泥棒の代表、志喜屋孝将。普段は農家の彼が、手塩にかけて育てた草花を販売致します。最近巷でなにかと人気の多肉植物もございますよ。

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そう思ってはじめたこの暇つぶし企画。更新が滞っておりますが、別にハナから継続できるなんて思ってなかったから可です。

渾身の絵描き唄

拙い画力を携え、脚本・兼島が絵描き唄をはじめました。公演用の原稿の〆切は、とっくに過ぎていますが、その部分には誰も何も触れないでください。

第三回公演
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劇団チョコ泥棒第三回公演の日程が決まった模様です。早めに決めてあげたので、観に来れるように日程を調整してください。

イカしたブログをつくったぜ。

劇団だと名乗っているにも拘らず、僕らにブログデザインを依頼してくる輩がいました。どうかしていますが、仕方ないのでつくってあげます(ありがとう)。

ライド・オン・ザ・レイディオ
(@ザハラジ)

チョコ泥棒、なんとラジオに出ました! 場を荒らしました。まだ誰からも怒られていないので、メンバー一同反省はしていません。

詩人・喜久山
駄作を更新

チョコ泥棒の詩人・喜久山が今日もせっせとくだらない詩を書きあげました。読んだところで損しかありません。自己責任でどうぞ。


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