しきや・たかまさ●1988年沖縄県生まれ。高校卒業後、保育士・幼稚園教諭・小学校教員の3つの資格・免許を取得するため、わざわざ県外の4年制大学に進学。卒業までに5年半の時間を費やし、保育士資格のみを取得する。結果的に県内の短大で充分であった。帰沖後は農業に従事。農作物はつくらずに鉄屑等のスクラップを売り捌いて時折小金を得る、という他者とは一線を画した農作スタイルが周りの大人たちからの批判を呼ぶ。その批判を聞き流しながら、農場にいる時間の3/4をゴルフ練習にあてている。

人の名前や顔を一切覚えない。予定や約束も覚えない。
そんな志喜屋氏は、如何にして
この荒々しい社会を生き抜いていっているのだろうか。
数々のお咎めの声を華麗に遮断する、その極意を訊く。

恵まれてるから。周りがやってくれるから。

「働く」ということに関して、僕は一切希望がないんですね。僕は一応、農業をやっているということになっているんですが、これで食っていこうとは思っていないし、食っていけるとも思わない。農場にいても、猫と戯れるか、ゴルフスイングの練習くらいしかやらないので。そういう風では、これでお金を得るなんて到底無理な話じゃないですか。だから、そもそも食っていけるなんて次元の話じゃないんです。農場の猫は僕が餌をやることを当てにしてるけど、僕自身も親の財産とか、結構当てにしてて。実家暮らしなので、何もしなくても御飯は出てきますからね。困ったら、小遣いだってもらえるし。でも、たまにはちゃんとしなきゃいけないとも思うので、そういうときは台所に立つようにはしています。そういう『親への感謝』は行動で示すべきだと思うんです。

 

 農業とは別で、僕は劇団の代表もやっているんですが、そこでも、基本的には他の団員に寄生していますね。全部やってくれますから、彼らは。公演のテーマ決めから客集めまで、僕が一切取り組まなくても、なんだかんだ許してくれるんですよ。はじめから期待されてないので。思うんですけど、その「期待されない」というのが重要なんじゃないかと。期待されなければ、仕事をフラれることもないわけだし、面倒なことをしなくても済む。だから、如何に「期待されない人間」になるか。結局、「人間性」なんですよね。ただ、矛盾するようですけど、「人間性」を認めてもらうには「実績」を作る必要があるんです。「あ、こいつ本当に何もやらないんだな」って思わせることができてはじめて、諦めて僕抜きでなんとかしようとしますから。

全部に、「まぁ、でも仕方ないよな」と答える
 こういう風に暮らしてると、説教を垂れてくる人が結構多いんですよ。そういう説教を聞き流しているなかで、僕という存在は、そういう人たちにとって相対的に自分を高められるので、貴重なんだとわかったんですね。「なんでこうなんだよ?」とか「こうやらないとダメだろ!」とかいろいろ言ってくるのに対して、全部「ま、仕方ないよな」と返していくと、相手は調子に乗ってどんどん説教じみてくるんです。自身の苦労話なんかを交えながら。つまり、偉くなった気分になるんですね。そうなると、そこに存在意義を感じられる。「あぁ、俺良いことしてるな」って思えるんです。相手を良い気分に、もっと言えば幸せにしてるな、と。相手が幸せになってくれるなら、僕は一生このまんまでも良いですね。まぁ、たとえ相手が不幸せになっても同じですけど。

最近飲み会に行く度に、なぜか所持金が増えていくという。
代金を払わないことが普通になり、
そのうえお釣りまで貰うことも多くなってきた。
彼が今の立ち位置を得るまでに辿って来た道程とは。

誘われるってことは、払わなくてもいいってこと
 基本、僕はお金がないんですよ。農作物が売れてない、というか作ってないので。だから鉄屑を売りに行って小金を貰うんですけど。でも週末にゴルフに行くので、そうすると所持金はほとんど残らないんですね。だから、いつも財布には200円とか、それくらいしか入ってない。だから飲み会に行っても、払うお金がない。そうするとどうなるかというと、僕は払わなくてもいいということになる。ラッキーですよね。ビールも軽く10杯くらいいってるのに、無料なんです。まあお金を持ってないから、当然と言えば当然なんですけど。最近では、無料になるどころか、所持金が増えることもあるんです。だいたい飲み会だと割り勘になるじゃないですか。会計が僕以外の人数で切れよく割り切れない場合、だいたい大雑把に徴収して、出たお釣りをそれぞれに返金しますよね。なぜかそのお釣りを、金がないからと僕が貰えることが多いんです。こんなことでお金貰えるんだ、とはじめは驚きましたけど、最近じゃ、そうじゃなきゃ割りが合わないとも思うようになってきました。
何にもやらないのが一番

 最近思うんですけど、生きるって容易いんですよね。だって、ずっと横になってればいいんだから。それを許してくれるんだから、社会は暖かいんです。でも皆、社会はドライなものだと思い込んでいる。ちゃんと働かないといけないとか、自立しなきゃとか、家族を養わなきゃとか・・・。もったいないですよね。

 

 社会の風潮として、頑張っている人や成功している人がフィーチャーされがちですけど、何かに真剣に取り組んだとして、得るモノは多いとは思いますけど、それと同じ分だけ失うモノもあるんですよ。皆、それを見ないようにしている。1を失うことの悲しみは、1を得る喜びより数十倍も大きいんです。そう考えると、ノーリスク・ノーリターンがベスト。一切責任を取りたくないなら、何にもやらないというのが一番なんです。自らリスクを取るような活動的な人を見ると、何が楽しくて・・・って思いますね。

 

 やっぱり、人は自分一人では生きていけない。誰かが支えてくれるから、生きていくことができるんです。だから、その支えてくれる「誰か」を見つけることが、人生において一番重要なことなんじゃないかな。そうすれば、一生ラクして生活できるようになりますから。


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