「沖縄を変えた男」の話をします。


「沖縄を変えた男」
という映画の話をする。

僕は小学3年から高校卒業まで、約10年間野球をやっていた(よくもまあ)。
野球経験者が野球の映画やドラマを見るときには、どーしても、役者たちの身体が気になってしまう。例えば、投球フォーム。そんなヘンテコな投げ方でどうしてあんな豪速球になるんだよ!みたいな感じの気持ち悪さがもうウギャギャギャッ!ってなるんです。ほかにもユニフォームの着方だとか強打者の力感だとか、実際に体感してきた野球と画面に映るフィクションの野球ではとんと別物である。だから野球ドラマおよび映画を観るときには、「プレーを見ない」という所作が、われわれ野球経験者には求められているのである。

それからこの映画は、タイトルにもある通り、「沖縄」の話である。映画やドラマに出てくるの「沖縄人」の喋り方は、過剰にデフォルメされた言語運用(訛り・イントネーション・方言など)がなされ、正直観ていてモヤモヤ~っと気持ち悪くなる。「こんな喋り方しねぇ~よ!」ってなっちまうのである。
というふうに、この映画を観るにあたり、2つの「気持ち悪さ」を乗り越えなければならなかった。

というか、ふつう「気持ち悪い」と思われる映画を観に行かないでしょ、でも今回はちゃんと観に行ったっていう部分を誰か褒めて。
で、実際に観て、「気持ち悪さ」は確かにあった。まあそれは仕方ない。でも、幾分かは軽減されてもいた。出演していた役者さんや芸人さんには、たぶん野球経験者が多いのでしょう、ウギャギャギャッ!なフォームの人は数名しかいなかった(ニッ○ーさんとか)。で、言葉の面でも、まあ出てる人皆沖縄の人なので、まだ耐えきれるレベルのものではありました。
という「気持ち悪さ」を乗り越えるマインドセッティングの話はこれくらいにしといてですね、、、

この映画は、沖縄水産の裁(さい)監督のはなしです。高校野球をやっていた人はだいたい知ってるんじゃないでしょうか、でも世代的には僕らくらい(20代後半くらい)がギリギリなんでしょうかね?
映画では、強化のため、あるいは勝利のためなら手段を選ばない裁監督(ゴリ)の狂気と寂しさが描かれる。多感なお年頃の球児たちを、怒鳴り、殴り、支配する。
「勝つためには何をやってもいいのか?」という問いにも、「ええ」と涼しく流すのか「当たり前だ!」と叫び声をあげるのかはわからないが、まあどっちにしろ「YES」と応えることでしょう、映画の中の裁さんならば。

ストーリーとか演技についての話は、ここではあんまりしませんが(察して!)。
でもそこで何が描かれていたのか(と同時に何が描かれていなかったのか)を見ることで、沖縄について考える上でナイスな題材ではあると思います。

裁監督は、先ほども書いたように徹底的に勝利にこだわる。殴る蹴る恫喝する、それらの行為を高校生相手にも辞さず、暴君としてふるまう。それもすべて「甲子園で勝つ」ためである。でもなぜ、彼はそこまで「甲子園で勝つ」ことにこだわるのか。そのことを少し考えていきたい。

映画の冒頭、幼子を背負い戦火を逃げ惑う母親と、爆発の炎が背中に点火し泣きじゃくる赤ん坊の姿が描かれる。その赤ん坊こそ、この映画の主人公、裁監督である。
その後、劇中で数名の人間から、甲子園で「沖縄のチームが優勝しない限り、沖縄の戦後は終わらない」というフレーズが語られる。また球児たちにも「監督は戦争やアメリカやナイチャーを憎んでいる」とも語らせている。
それらの台詞・シーンを通過させることで、監督がユニフォームに着替える際に映される背中(の火傷跡)に、「戦争への嘆き悲しみ」や「沖縄県民の苦しみ」という意味を付託している。

だがしかし、沖縄の戦中・戦後の悲しみや苦しみすべてを(文字通り)彼の背中に背負わせてしまうのは危険だ。そうやって最前線に立たされてしまった人間は、「後退する」という選択肢を組織的に奪われてしまうことになる。強硬で雄弁な姿勢以外、彼のフォロワーたちは認めてはくれないだろう。その過剰な政治的および精神的負担は解されなければならない。
実際裁監督は、「沖縄のチームが優勝しない限り、沖縄の戦後は終わらない」という彼が語ったとされる言葉を、「戦争と野球は違う。そんなことを言ったら、戦争で亡くなった方に失礼だ」と自ら否定する。(引用元はこちら)

ではなぜ、彼はあれほど狂気的なまでに「沖縄のチームが甲子園で勝つこと」を切望したのだろか。
その本意は、「監督は戦争やアメリカやナイチャーを憎んでいる」というセリフに表象されるような物理的・地政学的な「本土」対「沖縄」という構図のうちにはない。
それよりもむしろ、裁監督が再考を突きつけたのは、沖縄県民が内面化している「沖縄」のイメージに対してである。
そのヒントは劇中の「沖縄の人間は、仲間意識が強く、競争を好まず、打たれ弱い、、、それを克服するには優勝するしかないんだ!」みたいな台詞(はっきりとしたアレは忘れたので、こんなイメージだったっていう)にある。

戦前から戦後にかけて、「日本」あるいは「内地」/「沖縄」の関係性は、つねに「支配」/「被支配」(「差別」/「被差別」という側面も)という文脈で語られてきた。
「被支配」の文脈に置かれた沖縄の人たちは、集団内のつながりを強め、「被支配」ではあっても「服従」はしなかった。「内地」におけるニュートラルな感性に深層的に同調することはなく、沖縄独自の文化戦略を敷いた。「内地とは異なる」部分を自らのうちに見出し、それを「沖縄っぽさ」として前面に押し出すことにより、自らのアイデンティティを把持し、なおかつそれを対内地における重要な武器として利用した。
沖縄が選択した戦略は、「楽園」になる、ということであった。内地での競争主義的なレールから逃れ、ここに来ればゆったりとした時間が流れている。自然も人もあたたかく、あざかな色彩や心和むような音に溢れていて、現代社会に疲れた心身を癒してくれる。
というようなかたちで「内地」との差異とそこから派生する分断を強調することにより、沖縄は「内地」との関係の中でしっかりと立ち位置を確保することができたのである。
このパラドキシカルな生存戦略によって、差別的な扱いを受けていた状況を転倒させることに沖縄は成功した。

しかしその組織的ブランディングが功を奏した反面、この戦略は次第に沖縄の人間が「内に籠もる」ようになるという現象へと帰結していく。それは、その戦略を採用した以上避けることのできないものであった。自ら差異を強調することで得た立ち位置は、その差異を維持し続けることでしか守ることができない。つまり「内に籠もる」ことでしか、アイデンティティを保つことはできないのである。

「内に籠もった沖縄人」は、独自のルール、独自のコードを所有し、仲間内の結束を常に確かめ合ってきた。「内地」との同化を目指さずに独自のルールを適用することで、「沖縄」は延命に成功した。だが、ここで注意しなければいけないのは、仮想敵として想定していた「内地」は、実は強大な「依存先」だということだ。「内地」があってこそ「沖縄」の独自性が確立されるのであり、その関係性は「圧倒的多数=内地」対「ごく少数=沖縄」であるわけで、沖縄のドメスティックな環境下でのみ適用されるルールなど、内地に行けばすぐに掠れて消えるものであった。つまり、差異をもとに形成された「楽園」というブランディングは、圧倒的なホームアドバンテージを駆使するという策略であり、アウェーの地でもその利点を活かすことに必ずしも成功したわけではなかったのである。

そしていつしか、アイデンティティの形成に利用した「『内地』との差異」が、今度は自らを囲う「檻」として作用するようになった。
「内地」との対比によって形成された「沖縄ってこうだよね」「沖縄の人って〇〇だよね」というイメージを、沖縄人自らが主体的に取り込んでいき、いつからかそのイメージの方が「真」となった。そのイメージを個々人が積極的に採用し、より純度の高い「沖縄」を反映させる。
しかしそれだと、「圧倒的多数=内地」対「ごく少数=沖縄」という構図は、いつまでたっても瓦解されない。そのイメージに寄り添う沖縄人は、「ごく少数」のうちにとどまるしかなくなるのである。

「ごく少数」にとどまることで何が起きるのか。「犠牲」である。
「圧倒的多数」を守るために、「ごく少数」を差し出す。その「差し出されるもの」としてのふるまいを、沖縄人は自ら身体に刻んでいったのである。

では、沖縄にとって「犠牲」とはなにか。導き出されるものは一つ、「基地」である。
「犠牲」という言葉には違和感を持たれる方もいるかもしれないが、ここではそのまま論を進めていく。日本にある米軍基地の70%が沖縄に集中してる現状は、「犠牲」と呼んでも仕方ないことだと思う。

とまあどうしてこの映画で「基地」の話に繋がるのか。劇中で「基地」についての言及は一切なされない。この映画は「野球」の話だ。
だが、この「野球」と「基地」には共通点がある。それは双方とも、アメリカから到来し、日本に根付いたものである、ということだ。
アメリカから輸入された「ベースボール」は、「野球」へと変換されて日本中に広まった。
一方「基地」は、圧縮されて沖縄に固定された。他県にも「基地」はあるが、「日本中」ではなかった。

さきほども書いたように、裁監督は幼少時代、戦争で背中に火傷を負った。
戦争が終わり、彼が、ひどい火傷を背負ったまま辿ってきた人生は、そのまま沖縄の戦後史と重なる。
戦後の沖縄は、ご存知のように、日本であり日本ではなかった。日本に復帰した後も、日本とアメリカの両性を具有している。

「ボールを握ったのは、小学校4年生のとき。ソフトボールを米軍兵士からプレゼントされ、見よう見まねでキャッチボールを始めました。ボールもグラブも、バットも、すべてが米軍のお下がり。その頃、沖縄の男の子は、10人中10人が野球小僧でした」(引用元はこちら)

と裁監督は言う。彼がはじめに触れたのは、「野球」ではなく「ベースボール」だったのである。

アメリカと日本、2つの国の狭間で揺れる複雑な世相のなかを、戦後の沖縄人は生きていくしかなかった。日本への復帰後も依然として基地は残り、アイデンティティは混沌としたままだった。そうしたなかで多くの人は、「楽園」としての沖縄に自らをカテゴライズするようになっていく。そうすることで心身に安寧をもたらすことができるのだから。それは別の言い方をすれば、日本でもアメリカでもない「仮想の独立国」として自らを定立させることであった。
沖縄人は「ベースボール」でも「野球」でもない、「沖縄野球」とでも呼べるものを作り出したのである。

沖縄の高校が甲子園で勝てなくても仕方がない。だって「野球」と「沖縄野球」は違うのだから。「野球」では負けても「沖縄野球」で負けたことにはならないのだから。そういった論理を無意識のうちに採択してしまえば、負けたことにいちいち気落ちする必要がなくなる。仕方ない、とさらっと流すことができる。

でも裁監督はそうしなかった。沖縄の球児たちが「沖縄野球」のうちに安住することを許さなかった。そうしている限り、「犠牲」として差し出されても対抗する術を持てないから。
だから彼は「野球」、とりわけ「甲子園」にこだわった。「甲子園」は「野球」のなかでも特別な場所である。それはつまり、とりわけ「日本的」だということだ。「甲子園」とは、「礼儀」や「滅私奉公」などの日本文化的・日本精神的なものを「野球」に注入したものなのである。
日本に復帰した以上、日本人としての権利を沖縄人も持てなければいけない。そのためにはいつまでも「特別視」されるわけにはいかない。有事には「特別」なものから先に「犠牲」になるのだから。沖縄人は日本人である、という宣言、それが「甲子園優勝」なのである。

と考えるなら、この映画のなかで語られる(語られてはいないが)「基地」については、賛成とか反対とか、そういった話ではない。「基地」に翻弄され続ける沖縄人の「人権」についての問題提起なのである。沖縄人の日本人としての「人権」を取り戻す話なのである。
劇中の裁監督は、「内地」に対して沖縄人の人権についての異議申し立てを行うのではなく、沖縄の人間に対して、彼らの中に根付く無意識な「沖縄野球」の精神からの脱却を促す。それを達成しなければ、「犠牲」を強いられたままの不釣り合いな関係性は溶解できないのだ。だからこの映画は、「甲子園」を撮さない。劇中で描かれるのは「沖縄大会」である。自らのアイデンティティに問いの拳を振りかざすこと。それがこの映画で、裁監督という人物を通して描かれていたことである。だからこそこのタイトルは、『沖縄の野球を変えた男』ではなく『沖縄を変えた男』なのである。
ただ、その「人権宣言」が暴力にまみれているということが、事態を混沌とさせているのであるが、、、

というような拡大解釈を試みたわけだが、冒頭に書いた「2つの気持ち悪さ」を乗り越えたことに免じて、このヘンテコな妄言を許していただければ幸いである。


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