「蓬莱」に関するいくつかの仮説

これから、「蓬莱 〜ほうらい〜」という琉球舞踊公演についてのいくつかの仮説を書きます。感想ではありません、仮説です。いや、正確には思いつきに近いものなので、どっちかっていうと「感想」といった方が近いアレではあるんですが、でも今回のテキストの体裁としては「仮説」を並べる、という構成を取っているということもあり、、、
えーい! ややこしい!! じれったい!!!

はい。この公演は、じつは2017年4月の上旬に行われたもので、それから約半年が経過しています。本来であればこのような感想って、できるだけ終演後間もない時期に書かれるべきだとは思うんですけど、

……。
……。
……。

しかたねーじゃん、書けなかったんだから!
それに、べつにいーじゃん、いまちゃんとこうやって書いたんだから!
てなわけで、いくらかの仮説です。

蓬莱 〜ほうらい〜
世界の海で活躍した琉球王国の気概を伝える「万国津梁の鐘」の銘文には「琉球国は南海の勝地にして〜蓬莱島なり」(書き下し)と記されています。
「男性舞踊家公演 蓬莱〜ほうらい〜」にはそれと同じく、琉球舞踊の魅力を広め、自らの芸道を探求する志を持つ6人が集まりました。まだまだ、未熟ではありますが、古典・二才踊を大事に勉強し、舞踊劇や琉舞ではあまり見られない「素踊り」にも挑戦いたしますので、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。
(当日パンフレットより)

仮説1_「ノる」=ダンス、「ノらない」=琉舞

ヒップホップダンスなどでは基本、身体でリズムをとります。「アップ」とか「ダウン」とかそういうので、膝と上体を連動させながら上下運動というか、まあ簡単に言うと「ノッている」感じの動き。
アップやダウンでリズムをとりながらそこにステップや振りを付けていきます(という認識でいいのかな? 傍で見てるだけだからわかんないけど)。
この「アップ」や「ダウン」は、車でいうとアイドリング状態というか、まあそんな感じでしょうか。

そこに、身体中の関節・筋肉を連動させてダンスとしての体裁が施されていく。そのとき、身体表面に産出されるすべての動きがダンス表現として立体化されることになる。
たとえば、まっすぐに立っている状態から、右腕を上にあげる、という動作をダンサーが行ったとき、まっすぐな状態から右腕が上がりきった状態までのすべての動作(連動)が表現である。なめらかにやったり、パッと上げたり、機械みたいに止まるときにアソビを効かせたり。つまり一連の「過程」すべてが表現として認定される。

でも、たとえば『蓬莱』の第二部での女踊を観たとき、これはダンスと全然ちがうなと思いました。
その女踊りって(僕は普段観ないので必ずしもそうではないと思いますが)、上半身の動きがほとんどないんです。
それから、ずっとすり足なんです。特に友人の玉城匠くんの踊りなどは、膝の屈伸とすり足での移動(方向転換)、これだけで成立していました。
言ってしまえばただうろついているだけとも取れる所作なのですが、でも完全に「舞踊」なのです。
これはたぶん、流れている音楽と深い関係があるのだと思います。そこにはなんだか、踊り手の意志はなくて、音楽の支配があるんじゃないか、って思ったんです。

琉舞では、踊り手達はリズムを取らない(とか言いつつ、リズムとってる踊りもありましたが。二才踊とか、、、これについては後述します)。
音楽と調和を図るようにして身体を上下させる、というようなふるまいはそこには見られず、逆に音楽に一方的に取り攫われるような形での身体運用がなされる。
「アップ」や「ダウン」などでリズムを取ることもないままに、急に身体が動かされる。そーゆーふーな感じがしました。

仮説2_琉舞は、「静止」の連続である

で、ふと、あることに気づいたんです。いや、気づいたというよりは、思いついた。
もしかして、琉舞には「静止」しかない(と考えた方がいい)んじゃないか。琉舞における身体運用の本質は、その動作の部分よりも静止している状態にあるのではないか。

つまりですね、琉舞において実現すべき(表現すべき)ものは、きっちりと静止した完全なる「型」であって、それぞれの型から型への移行のための身体運用、すなわち「過程」を、そこでは「ないもの」として考えてください、ということなんじゃないか。

イメージとしては、動画ではなく、連続写真のような感じ。
膨大な量の、極度に細分化された「型」に身体を当てはめ、それを見ているわれわれ観客には「動いているように見える」、というような見立てで持って琉舞を見ることが可能なんじゃないか、と思ったわけであります。
「音楽に一方的に取り攫(さら)われる」ようでいて、かつ、それに抗おうと「静止=型」を目指す。そのような身体運用が、琉舞の踊り手達には見られる。
音楽という外部的な力によって身体を取り攫われ、それに抵抗して「型」に踏みとどまろうと内在的な力を発揮する。この拮抗する内外の力の結節点として踊り手は存在し、その行為の連続として舞踊が成立する。そういうふうに見立てることができるのではないでしょうか。

仮説3_琉舞には、琉球王朝時代の権力のあり方が反映されている

琉球舞踊というのは、琉球王朝時代、中国からの冊封使(さっぽうし)を歓待するために創作されたものです〈こちら〉
つまり外交の手段として重用されていたわけだす。そのことについて、琉球舞踊を扱ったコメディ(パロディ)演劇についての感想を以前に書いたので、そちらも併せて読んで欲しい〈こちら〉

琉球“王国”ですから、中央政権的な政治体制がそこでは敷かれていたのであります。
その権力の集中する王府によって主導された琉舞ですので、となると、踊ることは自発的なものではなかった、というふうに考えることができます。別の言い方をすると「踊らされていた」というわけです。

第二部では、「女踊/二才踊」が披露されました。「女踊」については先述したように、身体所作が極端なまでに抑制された舞踊で、「二才踊」については、若さと勇ましさを表現するような、アクティブでリズミカルな舞踊になっていました(「二才」とは元服(成人みたいな意味)した青年のことらしい)。

これって、当時の「女性観/男性観」がそのまま踊りに反映されているといえないでしょうか。
つまり、女性には淑女性を求め、男性(若者)には溌剌さや勇敢さを求めた。その要請に対する忠実な応答が、舞踊のなかに痕跡として残っているように思えます。その舞自体への権力の介入を示しているのです。

現代のダンスなどを鑑みてみると、それらはどちらかというとダンサー自身のパッションやエモーションを表出する行為として、つまり自発的(内発的)な行為として捉えられると思います。
そんな自発的な表現ができる人ほどダンサーとしての志が高いとみなされる。ダンサーは自ら「踊る」存在であるわけです。

琉舞の舞踊家たちは「させられる=受動的」な存在で、現代のダンサーは「する=能動的」存在。そういうふうに、対比することができます。
が、しかし、ことはそんな単純ではない、というのは当然の話で。
さきほどのリンク先にこんな文章があります。

「この宴に出演するのは王府に仕える士族の子弟と決まっており,彼らはそのことを大変誇りにしました。琉球舞踊が宮廷舞踊とも呼ばれるのはそのことに由来します」(宜保榮治郎)

たしかに、琉舞は王府主導であり、その命に従う者として舞踊家はありました。そこに彼らの自発性はありません。
しかし、彼らは“踊らされる存在”であることを「大変誇りに」思っていたのです。王府からの一方的な働きかけがあったわけではなく、両者間で同意が結ばれていたということがわかります。

だとするなら、踊り手たちを単純に「受動的」な存在として考えることはできません。
なぜなら、彼らには踊る意義や意欲があるからです。踊り手は王府の命に従う形で踊ることになります(=受動)が、踊ることに誇りを持ち、そしておそらく自らそのパフォーマンスを高めようと努めたことでしょう(=能動)。

王府は、文化的成熟を示すという外交上の戦略に、良質な人的リソースを確保するため、参加資格を限定し(王府に仕える士族の子弟)、踊り手たちに優越感を喚起させることに成功した。
名誉的ポジションを獲得した踊り手たちは、自らの技能・技術を磨き、そして琉球舞踊というジャンルのポテンシャルを掘り起こし、その芸術性を高めることに尽力した。
このような良好な関係性を築くことができたからこそ、琉球舞踊は伝統として代々受け継がれていくことになったのではないでしょうか。

この王府/舞踊家との権力関係が、そのまま音楽/身体との関係性にも反映されていると捉えることができます。
先ほどの(仮説2)で述べたことをあわせて考えると、琉舞では「音楽」(=王府のメタファー)が強大な力によって「身体」(舞踊家自身のメタファー)に影響を及ぼすが、その音楽に向かって身体(舞踊家)が自ら「投企」(◆1)することで「型」が表現される。なんてふうに言えないだろうか。

◆1 投企
人間は、生まれた時からすでに、世界の中に投げ込まれています。その世界ってのは、自分で作ったり選んだりしたものではもちろんありません。わたしたちは、否応なしにその世界を生きていかなければならないのです。映画『桐島、部活やめるってよ』での屋上でのクライマックスシーンが終わった後にある、しっとりしたシーンでのセリフでこういうのがありましたね、余談ですが。
ドイツの哲学者、マルティン・ハイデガーは、人間にとって普遍的なこのような状態を「被投性」と名付けました。ふと「なぜ生きているのか?」「なぜこれを行うのか?」みたいな気分、とくに不安感情を抱いてしまうことで、ひとは「被投性」を自覚します。そしてそれを乗り越えようとすること、つまり強制的なこの世界の中で可能性や自分らしさを掴み取ろうとすること、そのようなことを望むようになります。そのために、再びこの世界の中に自分自身を投げ入れるのです。それをハイデガーは「投企」と呼びました。

仮説4_「蓬莱」における「素踊り」は、「革命」を志向する行為である

この「蓬莱」という公演の第一部は、琉舞の舞踊家たちによる素踊り(化粧をせずに素顔で、華美ではなく質素な衣装で演舞する)でした。
組踊とか琉舞とかって、肌が真っ白になるまで化粧をするし、衣装のジャンルやトーンなんかもある程度統一されているし、ということもあって、誰が踊っているかってパッと見わからないんですね。つまり、踊り手たちは匿名の存在だといえます。
先ほど、王府と舞踊家の権力関係ということを考えましたが、そのことを考慮すると、琉舞における化粧や衣装というのは、着飾ったり綺麗に見せたりというよりも、むしろ踊り手たちが持っているそれぞれの個人的特性を隠蔽し、同質化・均質化を図るための装置であるというふうに捉えることができます。

国家を運営していくときには、民衆たち個々人がもつポテンシャルを最大限に引き出しながら、かつ全体を効率的に管理し安定的な運営を目指すという、一見トレードオフ関係にあるような政治課題が常に付きまといます(◆2)
琉球王府にとってはそのひとつのソリューションとして、「化粧」や「衣装」があったのでした。

そんななかでの「素踊り」は、踊り手の素顔を晒すことであり、その個性を前面に表出することである。
それって、王府による没個性化の指導に反旗を翻す行為であり、その意味では「革命」なのである。

演舞だけではない。この公演のパンフレットには、ほとんど素顔を晒した踊り手たちの宣材写真が使用されていて、ここからはっきりと「革命」の意思が読み取れる。
また、第一部のみ、地謡(楽器の演奏家)が舞台に登場しない(第二部、第三部では舞台上手に地謡用のスペースが設けられていた)。これは、王府=音楽を舞台から退けるということであり、ここにも「革命」的要素がはっきりと示されている。

◆2 生権力
王府と踊り手との間にあるこのような権力関係は、フランスの哲学者、ミシェル・フーコーの用語でいえば「規律訓練」と「生権力」がうまく結合しながら働いていると捉えることができるでしょう。
「規律訓練」とはなにさ?「生権力」とはどやさ? みたいなアレなので簡単に説明します。
もともと昔は、王様に逆らった奴は殺す! 気に喰わない奴は殺す! みたいな、「お前は磔の刑!」とか「火炙りの刑!」とかいうような感じだったわけです、権力の行使の仕方が。まあ殺さないにしても拷問とか、鎖や枷を装着しての長時間の強制労働とか、つまり身体に直接的・物理的な苦痛を与える、というようなやり方で権力が行使されていた。このような形での権力のあり方は「殺す権力」とか「死を与える権力」とか呼ばれたりする。
でも、「殺す権力」ってのは、意外と結構「効率が悪い」。拷問や肉体的暴力によって支配するというのは、手間がかかるのである。面倒臭いのである。
なんでかって、暴力の目的は暴力そのものではなく、支配することだから。権力者は、直接手を下さなくとも皆が言うことを聞いてくれるなら、そのほうが楽だ。(それでも拷問したい暴力を振るいたいという人は、性的な倒錯者というか暴力の快楽に狂ってしまった人なので、そのような人たちとここで述べている権力者はちがった存在。まあ、重複する人もいるでしょうが)
ともかく、効率良く支配関係を行き渡らせるには、できるだけコストを抑えていきたいわけで、誰かが誰かを殴る、とかっていうのは、いちいち人も時間も労力もかかるわけだ。しかも、そのような支配関係は、反乱分子を少なからず生じさせる。
そんなこんなあり、権力はちがった形で行使されるようになる。フーコーは「規律訓練型権力」という、上が下に「規律」を与え、下の者自らに「訓練」をさせ「ノルマ」を達成させるかのような権力体制があることを見出す。その「規律」や権力者からの「視線」を下の者に内在化(意識)させることに成功したら、この権力関係は磐石なものになる。つまり、下の者は自ら進んで上の求めるふるまいを行うようになる、ということだ。この権力体制の象徴的なカタチが「パノプティコン」という監視システムなんですが、ここに立ち入ると長くなるので、いまはちょっとやめときます。
強大な権力を持ってたら、ムカついた奴はバンバン処刑することもできるのではありますが、でも殺し過ぎるのもちょっとアレなのです。人口が減っちゃうと税収が減るとか奴隷が減るとか戦争の時困るとか、そういう事情で殺し過ぎるわけにはいかないわけで。
安定的な国家運営をしていくために、できることなら人口を管理したいわけで。となると、国民には病気になって欲しくないし、元気でいてほしい。だからだんだん公衆衛生とかが整備されていって、で、それは国民にとってもちょー有難いわけで。こんなふうに、直接的に国民を縛らず、国民を「生かす」ことによって国益を高める。そんなふうにして行使される権力が「生権力」です。ただ、このときの「国民」は一人ひとりの人間というより、統計情報の一サンプルとしての存在へと、ひっそりと置き換えられているともいえます。
というように、「規律訓練」と「生権力」の有効的な併用、つまり規律で縛りながら能動性を確保する。これで王府にとっては安定的な支配体制を構築することができ、踊り手達はその秩序のなかで大いに自己実現を目指すことができる。この持ちつ持たれつの共犯(共依存)関係のなかにおいて、琉球舞踊という芸術活動・芸能活動の発展がなされてきたと考えられるわけです。


と、ここまで琉球舞踊公演「蓬莱」に関するいくつかの仮説を書き連ねてきました。
これはあくまでも仮説であり、いや、というよりもむしろ素人ファンによる二次創作的なものであり、記述に対する何かしらのエヴィデンスを示すなんてことは一切できません。
が、こんなふうに仮説を立てて面白がるっていうのは、観客として費用対効果を高めるナイスな方法だと自負しております。

うまくまとめきれなくてここには書きませんでしたが、琉舞における音楽/身体(舞踊家)/型の三者関係を、野球マンガを見立てに捉えようとした「キャプテン仮説/ROOKIES仮説」というのもあります。
これらの仮説を、踊り手たちに「どうなの?」と聞くほど野暮なことはありません。それは「素人ファン」の振る舞いではありません。勝手に想像して勝手に楽しむのが素人ファンであり、そのような作法のもとに「野球マンガに例える」などという無頼なことができるのです。
というかそもそも、琉舞の担い手たちのもつ専門知は私たちには想像できないほど膨大なはずで、もっともっとたくさんのことを考えながら踊り手たちは踊っているはずです。なのでなんども確認しますが、ここの記述は僕自身の個人的な楽しみであり、独断と偏見に満ち満ちたものであることをおしらせします。

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