(第2部『デイドリーム』について)
この「デイドリーム」の劇中では、舞台後方の壁に、ボール紙にガムテープと画用紙を貼り付けて作成した「星条旗」が舞台美術として貼り付けられる。
わたしははじめ、打ち合わせの段階で星条旗を発注するべきかどうか、とても悩んだ。だって、どうしても政治的な色が出てしまう。
だからそのときは、「すみません、いまはちょっと保留で、、、」なんて言って、備品を準備してくれる父母の方々を困らせてしまっていた。
でも後日、担当のお母さんから連絡があって、「星条旗を作りました!」とのこと。
あ、すみません、ずっと保留にしっぱなしでした。
それと、わたしはてっきり、レプリカとかをどこかで購入してくるものだと思っていたので、だって発注の時には「手作りでお願いします!」だなんて言ってないから、だから手作りしたと聞いた時に「なんかすみません」って思った。
でも「なんかすみません」以上に、「うわっ!どうもありがとうございます!」と思った。
その「うわっ!どうもありがとうございます!」は、もちろんわざわざ時間をかけて作ってくれたことに対するものでもあるけれども、それよりも、この手作り星条旗を見た時に、この作品をどう演出していけばいいかがパーっと見渡すことができ、その感激から発生したものだった。
手作りするということは、歪んでしまったり、バランスが崩れていたり、そういったことが起こり得る。
どんなに慎重にやろうとしても、作り手の癖とか手付きとか手順とか、そういったいろんな要因に影響を受けてしまう。
美術品であればその「癖」のようなものがそれ自体の「価値」とイコールになっていくのだが、模造品の場合は違う。
模造するということは、そっくりに作らなければならない。本物と見分けがつかないようにしなければならない。
でも、模造品を手作りするということは、その「そっくりに作る」ということを放棄することだとも言える。どんなにそっくりにしようとしても、「癖」によって形やバランスが変わってくるし、作成する材質などによっても見え方が変わってくる。
だから、どうやったって「本物」と見紛うものにはならない
そして、その「本物には見えなさ」みたいなものが、この劇では重要なのだと気付いた。
この劇に使用する「本物には見えない手作りの星条旗」は、でも、「星条旗」であることはわかる。アメリカ大使館などでなびいているあの旗のようには見えないけど、たとえ手作りでもそれがアメリカの国旗を模したものだとはわかる。
この感じが、とてもナイスだと思った。
どういうことか。
つまりこの「星条旗」は、わたしたち沖縄の人間のことを象徴している。
わたしたちは、その内部に「それぞれのアメリカ」を手作りしている、ということだ。
わたしは、生まれた時からいままで、基地がすぐに近くにある、という状況を日常として過ごしてきた。基地負担は軽減してほしいけど、基地のない沖縄というものを具体的に想像することがいまはできない。
わたしはわたし自身の生活の中に、ひいては人生史の中に、基地=アメリカというのを独自に作成してきた。
たぶん沖縄の人は、多かれ少なかれ、親米だろうが反基地だろうが、それそれの生活の中に、それぞれの心の中に、それぞれのアメリカ=基地を作っている。
それはその人の「癖」によって多様な形成がなされているのだと思う。
どのアメリカ=基地が正しくてどれが間違いかとか、そういった「実際のアメリカ」というものはたぶん存在しない。
でもそれをあえてモデルとして据え置くのだとするなら、それはアメリカ人自身によるアメリカ観ということも言えるだろう(もちろん、アメリカ人であっても、個々人で国家観は異なるから、幻想的なものだが)。
わたしたち沖縄の個々人の「癖」によってできた手作りのアメリカ=基地は、「実際のアメリカ」と見間違うものではないけれど、そのどれもがリアリティを持っているのだと思う。そう、そういったリアリティを、「手作りの星条旗」は象徴している。
アメリカというものを鏡として、わたしたち自身を見つめようとする。この「デイドリーム」の主題をあえて一言でまとめるならこうなる。
この主題は、この「手作りの星条旗」という舞台美術によってはっきりと輪郭が見えてきた。だからわたしは、とても感激したのです。
たとえば、この劇の設定にしてもそうで、「屈強な米兵の男性を、華奢な沖縄の女の子が演じる」、というのも、ある意味「手作り」である。
どう頑張ったって、少女を本物の米兵と見間違うことはない。でも、その部分にこそ重要な意味がある、ということだ。
つまりこの「デイドリーム」という劇は、アメリカ兵を登場人物として描いていながら、わたしたち自身のことを描いている。
脚本を書いているときは、そんなこと考えたりは一切しなかったけど、いまになって読み返すとそうとしか読めない。
わたしたちは、きっと、いつもそうなんだろう。
わたしたちが基地のことを考えているとき、話しているとき、わたしたちはわたしたち自身について考えたり喋ったりしているのだ。
なかなか答えのでない厄介な問題だけど、この問題に向かおうとする姿勢を、わたしたちは取らなければならない。それが、わたしたち沖縄人の宿命なんだろうと思う。
● 『経験なき記憶』を引き受ける(第1部『これからの話』)
● 手作りの星条旗(第2部『デイドリーム』)
● 随時公開いたします(第3部『私たちの命』)
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日時 | 2017年1月29日(日) |
開演 | 15:00 (開場 14:30) |
場所 | 宮森小学校体育館(うるま市石川一丁目46番1号) |
料金 | ・大人:500円 ・中高生:300円 ・小学生以下:無料 |